征服前の背景について③アメリカ大陸-先住民は恐怖の対象?-
多民族化の話をしたいのに前段が長すぎるので、ちょっと駆け足にします!
コロンブスの航海以降、スペインの征服者たちが入植していくことになるラテンアメリカ。彼らを待ち受ける先住民社会は、こちらが思っているような“弱者”ではなかったようで…。
「強者ヨーロッパによる一方的な征服」ではない
前提として、ラテンアメリカの先住民は決して弱者ではありませんでした。確かに彼らは古代から踏襲された宗教観念を持ち、ヨーロッパと比べて洗練された武器も持っておりませんが、彼らが優れた学問・技術を持っていたことは有名です。
そして少なくとも、現在のメキシコ周辺を支配していたアステカ帝国の首都テノチティトランは、20-30万の人口があったと言われていて、当時としては世界最大級の都市だったとも言われています。
単純に、ヨーロッパとは文明の進化の方向性が異なっていただけというのが実情に近く、決して「“文明国”が“未開国”を理不尽に蹂躙した」というような強者対弱者の構図みたいなものではないのではないかと思います。
多様で高度な社会ゆえに起こった短期決着?
とても当たり前のことなのですが(しかし、私たちは時折そのことを忘れる)、「先住民」という民族は存在しませんよね。例えば当時、アステカ王国内だけで、相互に意思疎通ができない240もの言語があり、大陸規模では2,000もの言語があったとされています。めちゃ多様性社会です。
一方でラテンアメリカには、少数部族が中心の北米とは異なりいくつかの大きな国ができていました。そのため、都市と地方や民族間での紛争、支配階級と庶民との間にある階級闘争や奴隷など、世界中の国家と同じように、内部闘争や社会問題があったと言われています。
特にアステカやインカなどの大帝国は、ただでさえ15世紀前半に急速に力をつけてきた新興勢力のうえ、多民族の征服活動、奴隷の活用、王の後継者争い、有力都市間の政治的駆け引きなども多く、国内には不満分子が一定数いました。
こうした不満分子の受け皿として、征服者が機能していくことになります。力の弱い民族は征服者の武力によって臣従し、力の強い民族は同盟に近い形で征服者の元に集います。彼らは「インディアス・アミーゴ」とよばれ、わずかの手勢しかいなかった征服者の進軍を文字通り支える存在になりました。
“未知への恐怖”
征服者たちは、先住民の国家の征服完了後、徹底して彼らの文化を破壊しにかかります。それは略奪目的に加えて、まったく異質の宗教観を持つ彼らに「恐怖」したからとも言われています。
現実として合わない価値観への恐怖
ラテンアメリカ先住民の“恐怖”のイメージの象徴として、「生贄文化」と「人肉食文化」がよく挙げられます。確かに両方ともあったのは事実で、つい数年前にも、今から約550年前にペルーで大規模な子どもの生贄があった証拠が発見されています。
もちろん当時のヨーロッパには無い(もしくは廃れた)価値観ですし、聖書にも生贄文化は記載されていませんので、征服者にはまったく理解できない価値観ではあります。
とにかくこの時代のヨーロッパは、聖書(もしくは聖書の解釈を伝えるローマ・カトリック教会の教え)が世界の全てであった時代です。しかも、それはプロパガンダや嘘で塗り固められた世界でもなく、教会も本当にそうだと信じている世界観です。そして、征服者の主軸であるスペインは、当時極めて信仰心が篤い国のひとつだったことは、すでに書いた通りです。
ただ、これだけであったら、征服者はせいぜい「野蛮な奴らめ」といった感想で終わったかもしれません(それこそ、古代中国人が倭国を見ているような感覚でしょうか)。しかしそこに、自分たちが見たこともないような立派な都市・人口・社会構成がつくられていたら、どうでしょう?
“野蛮”なのに立派な都市、という理解不能案件
想像してみてください。基本的に征服者から見える先住民の印象は、「野蛮で無知な連中」です。彼らは地方に降り立ち、そこで少数の集落を服従させ、未開発の密林を抜けて首都へ向かいます。服従させた人々は武器も未熟で、言葉も通じない。もちろん神の存在も理解していない。世界のことなど何も知らない弱者、という認識です。
ですがいざ首都に向かうと、そこには自分たちの故郷より巨大な都市が現れ、優れた技術を持った“野蛮な”人々が多数暮らしています。これをどう受け止めることができるでしょうか。
「悪魔の仕業」だと思うかもしれませんし、「これを現実として認めてしまったら大切な何かが崩れそうな気がする」と思うかもしれません。いずれにせよ、理解の外の現象に見えたことは想像できます。彼らにとっての唯一絶対の世界は、聖書の世界です。やはりそれ以外の存在を認めることなどできなかったのだと思います。
彼らの苛烈なまでの征服は、単純な支配欲といったものの他に、こうした理解できないものに対する恐怖の感情も潜んでいたと言われています。そして生贄文化、人肉食文化などが現代まで強調されて伝えられていることも、彼らの価値観の根本を揺さぶられかねない出会いからの防衛本能が、極端になってしまったのかもしれません。
まあ実際のところは分かりませんが。
事実として、認識が改まっているようだ
当初の征服者は、たまたま降り立ったところが小さい島国だったこともあり、極めて楽観的に考えていたようです。コロンブスは最初から先住民を虐殺しようとはしていなかったようで、というより敵対するまでもないと舐めきっている様子が、初回の公開日誌に記されています。
それが40年後、インカ帝国を滅ぼしたピサロは、相手が強大であった際の立ち振る舞い方まで兵士に伝えていたとも言われているぐらい、警戒しまくっています。やはり、何かが揺さぶられていたのかもしれませんし、ただ単純に「こいつら手強いぞ」と思っただけかもしれません。
理解できないものはあるし、それに対する拒否反応もあることを認める
こういった理解できないものへの反応、あるいは自らの無知への拒否反応といったものは、多かれ少なかれ誰にもあるものだと思います。「多様な価値観を認める」ということは、この拒否反応そのものを悪と断じ、その反応を持ってしまう自分に罪悪感を持たせることなのでしょうか?
でも実際のところ、ひとりの人間が世界のすべてを知ることなどできないので、こうした反応を本能的に思ってしまうことは、仕方のないことだと私は思います。むしろ、その自分の未熟さを(正当化はしないが)許容することから、話が始まるんじゃないかと。その上でどう行動するかだと思いますし、自分と同じように相手も未熟な部分があるということを認めることもまた、多様な価値観を認めるという形のひとつではないかと思います。
「征服者が無知で愚か(=柔軟な考えさえ持っていれば大丈夫)」ではなく「人にはこういった感情が誰にでもある」と思うことで、実際に理解できないことが目の前に起こったとしても、「まあ、自分の想定外のことなどあるものだよね」と思えるか。もっとも、私自身も実際そううまくはいかないですけどね。
何にせよ、こうして征服者たちの入植活動は進んでいきます。
次回
本格的に征服・入植が始まります。
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