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何者でもない私

ここ数ヶ月ずっと、どんな仕事がしたいのか考えていた。
英語を使った仕事をしたいと思い医療翻訳の選考に応募したりもしたものの、不採用の連続。ひとまず、生活もあるので夢追い人になっている場合ではなく、看護師として働くことにした。

本当にありがたいことに、家からも近く、条件も良い、尚且つ小さい子供がいる家庭の事情に配慮してくれるクリニックに採用していただけた。
ブランク8年。まだまだ現役の頃のように脳も体も動かないけど、やはり人と関わる仕事は楽しい。採血しただけなのに感謝される。ありがたい。ずっとかかりつけ医として来られている患者さんもいて、とても患者さんを身近に感じる。大きい病院ではない、小さなクリニックでの地域医療の魅力をちょっと感じている。ただ、めちゃくちゃ体力勝負なので、正直家のことを回すだけで精一杯だ。

このまま英語の夢は諦めた方がいいのだろうか?

時々そう思う。でも、町中やテレビで英語を耳にする度に、どうしようもなくワクワクする。英語を諦めたくない。

2020年に夫の仕事の都合で渡米した。渡米前から英語は好きだったけど真剣に取り組んだことはなかった。でも何となくコミュニケーションは取れると思っていた。ところが、渡米して玉砕した。
英語が全く聞き取れない。頑張って英語を喋っても、必ず聞き返されるし、ミスリードされる。

これではいけない。

駐在の帯同で来ている場合、英語が出来なくても生活する上ではあまり問題ない。だけど、私は、英語を最低限のレベルにしないと子供たちを守れないと思った。学校で子供たちがトラブルになった時、教師や他の保護者と対等に話が出来ないといけないと思った。子供たちの言い分をちゃんと相手にも伝えられないと。強くならなければ。だから初めて真剣に英語に向き合った。

それから、少しずつ英語が上達した。それまでほとんどやっていなかったのだから、少し勉強したら出来るようになるのは当然だった。ネイティブと対等に話す度胸も持ち合わせた。その頃の私の英語のレベルは、言うなればreasonably goodで、初中級から中級に足を突っ込むレベルだったと思う。今までの私は、英語に限らず、これまでの人生いつも、reasonably goodなレベルまでいくと、それ以上の向上を求めなくなった。だから私の人生はずっと何事においても中途半端だった。

「まあまあ良いんだけど、すごく良いわけでもない。」

ずっとこうだったし、こういう人生に不満を持ったこともなかった。でも、初めて「何かを突き詰めたい」と思ったのだ。私が初めてそう思ったのは、英語だった。

現地にいるうちにしか出来ない方法で英語を上達させよう

そう思った私は、近くのスタバにアプライした。私の英語力はその時も中級(よりちょい下・・・)
それでもありがたいことに採用していただけた。そこでは本当に貴重な貴重な沢山の経験をした(それについては今度noteに書こうと思う)
英語も伸びた。多分胸張って中級と言えるレベルにはなったと思う。でも、現地でネイティブに揉まれれば揉まれる程、自分のレベルがいかに目標から遠いか思い知らされた。

もっと極めたい。

スタバで働いて1年と少し過ぎた頃、日本に本帰国となった。帰国後は英語を生かした仕事を、と思った。けど、帰国直後に受けたTOEICは765点。履歴書に載せてもあまりパッとせず、先に書いたように応募した医療翻訳の案件は全て不採用。

私は何者でもない。

そう思った。このまま看護師として働いたら良いんじゃないのか?すでに十分恵まれてる。実際この仕事が好きだ。だから、必ずしも英語を仕事にしなくても良いんじゃないかと本当に最近考え始めている。

ただ、英語を中途半端にしたことはきっとこの先ずっと後悔するだろう。
だから、余計なことは考えずに、ただひたすら英語の勉強を続けて、積み上げていこうと思う。Xで尊敬するフォロワーさん達のように、これから何年も積み上げてみようと思う。私は焦りすぎていた。結果を急ぎすぎていた。たかだか数年アメリカに住んだからって、爆発的に英語が出来るようになるわけではない。私にとってアメリカに住んだ経験は確かに養分にはなったけれども、毎日水をやり陽を当ててやらないと、私の英語の芽はこれ以上伸びていかない。

数ヶ月前にXを休止すると宣言し「達成したい目標があるので」と言ったのだけど、それも、焦りすぎた私が出した早急な目標だった。まだ先に取り組むことがある。だから、その目標は一旦心の中に仕舞うことにした。これから英語に向き合っていく中で、また蓋を開ける日が来るだろう。それまで、ブレずに積み上げていく。これが、何者でもない私の今の小さくて大きな目標だ。

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