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伝えると決めたこと

感じるものが多くなったので、アウトプットを増やす。溢れている。
 
繊細か繊細じゃないかっていわれたら繊細な部類。感じられるものは増えた。それは敏感ともいえる。不快によく気づくようになった。
 
去年少しだけnoteに日記を書いていた。ちょうど1年前くらいから。それを読み返した。
 
私は1日の中でいろんなものを感じ、受け取り、生きていたのが見えた。そして、深かった。生きることも、過去の自分が何に葛藤しているのかも、よく見えた。淡々と書いている。でも伝えたいことがあるんだなというのもわかる文章。
 
そうか、それだけ溢れるものがあって、そんなに自分の中に燻っているものがあったのか。と去年の私に思うこと。
 
伝えたいは、わたしのエゴ。
伝わるように努力をする。
 
どのように生きていきたいかと、言われたら
そのときの100%の自分で目の前の人と向き合うこと。全員じゃない。わたしがエネルギーを注ぐと決めたモノ、人、場所に。
 
全部がいいとおもってたけど、
全員が満足出来るようになどが
傲慢であったと反省した。
 
1人でも「自分らしく楽に生きたい」
と思う人が目の前にいるのならば、
できることがあるよ、と手を出し続けたい。
 
私はそれを知ってるよ。と。
 
少しずつちゃんと形になってるよ。
進んでるし、伝えられるものを
持てているよ。
 
暑苦しいといわれようとも、
それにわたしは応え続けるよ。
応えてくれるひとのために。
 
それだけかけるナニカが
なんなのかわからないけど、
でもわたしはそこに行きたい、
そう生きたい人と一緒に
世界を創っていく。

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