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昔はジムで走ってる人を鼻で笑っていたが今は自分も走ってる

よく行く喫茶店からは向かいのジムで走ってる人が見えた。

ガラス越しに見える人たちはなんだか意識が高そうで、ランニングマシーンで優雅に走ってる姿に「なにがジムだよ」なんて感情を抱いていた。

今考えると、最低の性悪クソガキ。

だが、今は自分もジムでランニングマシーンで走ってる。


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先述しておくと、差別と偏見の塊な人が嫌いな訳ではない。実を言うとわりと好きだったりする。

良い、悪い、という問題ではなく物事をまっすぐだけでなく、いろいろな角度から見れる人は面白い。

だが、冒頭のおれの感情は頑張ってる人への嫉妬、嫌悪感、そして無知だった。

この話で一番伝えたいことは「自分の愚かさ」や「ジムの素晴らしさ」じゃない。


では何か?

「無知は罪」だということ。

(この書き方がホント好きだな〜おれは…)


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身体を鍛える、トレーニングする、というに関して何故みんながやっているのかを知らなかった。

なんとなく意識お高いんでしょ、くらいにしか思ってなかった。

(そもそも意識の高い人を鼻で笑う風潮自体、今はくだらないと思ってる。)

だが、身体を鍛える、トレーニングすることで食事に気を付けるようになったり、頭が働くようになったり、

自分のパフォーマンスを最大限に引き出したいという努力だった。


また、やってみて分かったが、ジムでトレーニングしている時間というのは「自分と向き合う貴重な時間」だった。

日々の生活に追われて、常に我々はスマホを見ており、通勤中も音楽を聞いたりマンガを読んだり、風呂に入るときもYouTube流したりする。

考えてみると、自分と向き合う時間というのは、意外とない。


寝る前など、目を瞑って自分と対話する時間はあるがおれの場合は夜はネガティブな考えばかり出てきて、眠れなくなったりする。

これが身体を動かしながらだと、ポジティブになれてちょうど良いのだ。


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ジムに通い出して、よかったと思う最大の点はそこ。

「時間とお金に余裕がある人じゃないと行けないよね?」

わかる。わかるよ。

そう思っていた。

でも「時間」も「お金」も自分でつくるしかない。誰だってそうしてる。

こういう思考になったのも、自分と対話をする機会が増えたから。今はそう思う。


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