10/22の滴り「週末に母②毒シャワーと世界は鏡」

先週末に久しぶりに母に会った話の2つ目です。
1つ目がこちら。

「どいつもこいつも馬鹿ばっかり」
「頭悪いやつばっかりだ」

これは母親の口癖・・・。

私が母と会いたくない理由のひとつに
母の毒舌
がある。

もうね、全て否定と悪口。
ジャッジの嵐。
TVを見ればタレントや俳優の口調とか言ってる内容に文句たれたり酷い言葉で見た目を罵り、
政治に文句を言い(本当にわかってんのか?)、
世の中に文句を言い、
知り合いどころか友人への文句、
そしてもちろん私への文句もすごい。

先日もまあネガと罵詈雑言とジャッジの言葉を繰り出してくれました(苦笑)
苦笑できるようになったのは、
自分なりにこの事を納得できたのと、
ほとんど会わないから言葉のシャワーを浴びなくて済んでいるから。
以前は苦笑なんてとんでもなかった・・・。

幼少期からこの罵詈雑言を浴びせられ続け毎日がネガキャン状態だったことで
私はかなり歪んだ性格になったし、心から母親を嫌っていたので。
でも、同時に
姉のことで
母親を慰めることができない自分の不甲斐なさ
姉の代わりになれない出来損ないであることの自己否定
で自分を苛んできたし、
親孝行ができないどころか親不孝ばかりしているから
母がいつも不満ばかり口にするのは私のせいだと思ってきた(実際に言われたことが何度もある)。

数年前に
不食(今は違うんだよね( *´艸`))の弁護士・秋山佳胤先生のホメオパシー診断を受けたときのこと。
秋山先生がこうおっしゃった。
「あなたはもう親孝行をたくさんしたのだからこれからはもっと自分孝行してあげてください」
私はこう答えた。
「私は親孝行どころか親不孝者です。
だから姉ではなく自分が死ぬべきだったと思っています」
すると先生は
「あなたはお母さんの毒をずーっと受け止めてあげていた。
子供がそれをすることのしんどさは計り知れないです。
それでもう充分、親孝行をしたんですよ」
とおっしゃた。

私は、その瞬間、泣き崩れた。
親の毒を浴び続けることが私自身はイヤだ、と思う程度だと思っていたけれど、
本当はすごくしんどかった、苦しかったんだ・・・・。
でもそれを感じたくなくて痛みを自覚しないように自分で麻痺させていた。
自分自身ですらわかってあげなかったツラさを、誰かに初めてわかってもらえた事で、
そしてもうお母さんのことで自分を責めなくていいんだ、と思ったことで
なんというか、世界の色が大きく変わった。
色んなことが納得できた。

それでもイヤなもんはイヤなので避け続けているが(笑)
でも、これがキッカケで次の段階に進めたなぁ・・・。

この親を選んだのは自分だということ。
世界は自分のうつし鏡だということ。


今はこれを腑に落とす段階にあって、
どう考えてもやっぱりこの親だったからそういう気持ちになることができたんだよなぁ、と納得している。
自分にも、他人や世間を罵詈雑言したい気持ちがある。
何にでもジャッジしてしまいたくなる。
あれこれレッテルを貼りたくなる。
そういう自分を自覚することがすごく大事なことだと思う。
反面教師とか、そういうことではなく、
間違いなく、自分もそういう毒を持っていて、だから毒を持つ人=自分の毒を
しっかり認めて、ジャッジせず、後はもうフォーカスしないで流す訓練をさせてもらっている気持ちがある。
なにせ自分の世界で起こっているのだからないことにはできないもんね。
見えないフリはしたくない。

それを実感するために生きて経験しているともいえる、かな。

母親から「だからお前は馬鹿なんだ」「頭悪い」と言われ続けてきた私は、
だから今でも
「あいつは頭悪い」とかそういうジャッジやレッテル貼りをする母などを見ると
頭悪いってなんだろう?馬鹿ってなんだろう?って心をざわめかせる。
そして
私は自分が馬鹿で阿保で頭悪いって思っているが、
自分はまともで賢くて頭いいと思ってて、だから他人を馬鹿だと評することを平気でする人より、
よっぽどいいやって思えるようになった。
(人それぞれ価値観があるからそうする人を否定しているわけではない)

でも、そういう人にまだ心がざわめくということは
自分の中にまだまだたくさん毒があるってことだし
やっぱり私もまだ全然、ジャッジしたりレッテル貼ったり非難批判攻撃するってことだから
日々日々、点検だ
そしてそして、なんといっても、

母親のように他人や世間をひどく言う人というのは
すべからく、

自分自身を否定している人

なのだと、思えるようになったのは大きい。
他人を馬鹿だと言っている人は自分に馬鹿だと言っているのだ。
他人を非難批判ジャッジしている人は自分を非難批判ジャッジしているのだ。

間違いなくそうだ。
そしてその奥にある哀しみを感じられるようになった。
繰り返すけれど、そうやって他人を鏡として、もちろん自分が他人に対してしたこと言ったことも見て
ああ、私はまだ自分を虐めているなぁ、って
日々日々点検することができるのだ
本当にありがたいことだと思う。

だからお母さん、ありがとう。
なのだ、本当は。
自分の周りをみて、自分を知ることができるんだよね、本当に。
そう思うと誰もかれもあいつもこいつも愛しい存在だ。
(って思えないことの方がまだ多いけどさっ)

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