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会話泥棒の憂鬱

昔テレビで鶴瓶さんが、兄弟コンビ(元?)「まえだまえだ」のどちらかについて、自分の母親を「これが普通という線にぴーったりくっついてるような人や」という風に表現した、と感心していた(細部の表現は忘れた)。
それを参考にして自分を言い表すと、「普通はここまでという円の中に一応入ってるけど、中心からまぁまぁずれてる人間」となる。

「ずれ」の種類は、個性によるもの、発達グレーやアレルギーなど体質によるもの、生育環境によるものに分けられるだろう。
発達障害についての知識が増えるにつれて、個性と体質の区別は段々とつけにくくなってきた。
発達障害に限らず、精神疾患を抱えている人は誰もが、どこまでが症状でどこからが個性か、判断はつけにくいだろうと思う。
その判断の困難さは、わたしにとっては、生きづらさの要因となっている。
どこまで自分で妥協して良くて、どこからは改善すべきなのか、わからないからだ。
これは主に、そういったことについての個人的なぼやきを書いた文章だ。
感じていることをその場で伝えるのが苦手なので、頭の整理する為に書いた部分もある。

わたしの「ずれ」のうち比較的目立たないもののひとつに、疑似客観的に自分を見ている点があると思っている。
思い込みや勘違い、感情的になる時は普通にあるので、自分と少し距離を保って、と言った方が伝わるだろうか。
長所ではなく、何というかただの感じ方の違いだ。

ややASD(自閉スペクトラム障害)的な特性と、9年軽度のいじめを受け続けた経験に由来していると思うが、わたしは、自分と他人とを完全な別モノと感じている。
他者に共感はするし、誰かに自分の経験を投影してしまうこともある。
けれど基本的には、他人は透明だけど分厚く重いカーテンを隔てた向こう側の存在だと感じる。
自分側は1人きり、家族含め残り全員あちら側にいるので、こっちは味方側あっちは敵側という二元論的認識とは、まったく相容れない。
自分とそれ以外がいて、皆それぞれ意見があるけど揺れ動いていて実態は掴めず、誰も正しくはない、そんな感じに見えている。
他者に対して敵意を持っていないのが、自分の唯一の長所だと思うが、親近感もほとんどない。
境界線が曖昧になる、例えば、今自分と同じことを周りも感じているに違いないと確信を持つ、ようなことは無理で、一体感という概念を体感したことがない。
むしろ、自分の感情がその場に相応しいのか時々不安になるが、といって皆に合わせられるわけでもない。

他者だけでなく、自分自身についても、主体としての意識があるのと同時に、少し距離のある存在として俯瞰で感じている。
まるで幽体離脱のような感覚は、それを感じない人からは冷たく見えるだろう客観性に似たものの源になっていると思う。
ADHD的にスイッチが入って高揚した状態にはしょっちゅうなるけれど、その時も、お酒に酔う時も、これまでに我を忘れたような経験の記憶は一度もなくて、あー今スイッチ入った、今は少し酔ってる、と覚めた自分が常に外側から眺めている。
定型発達でも似た感じの人はいるし、典型的ASDの人や、ギフテッドと呼ばれる高い知能と特殊能力に恵まれた人も、程度の差はあれど、皆似たような自分自身との遊離感覚を持っているのではないかと思う。
実は解離性障害の数歩手前みたいな状態なのかもしれない。

客観風な意識で感じ取った情報も、わたしの場合は日常に活かせたことは特になく、ただ感じているだけ。
外から見ると、どんくさく人格が未成熟なくせに冷めて理屈っぽい、自己中心的な人間に見えるだろうし、残念ながらそれはほぼ正しい。
自分の社会性の無さ、モラトリアム的未熟さについては、長年コンプレックスを抱いてきた。
太宰の『人間失格』を読んだ時は、自分のことのようで痛かった(『人間合格』という映画は好きです)。
心の奥底では、妖怪人間の決め台詞のように「早く人間になりた~い」と願うと同時に、どうせ一生無理と諦めていた。
人一倍努力して成長している発達障害を抱えている人もたくさんいるので、言い訳はできない。

自分が発達障害と定型発達との境界線近くの微妙なラインにいることは、グレーゾーンという言葉が出回っていなかった高校生の頃、ADHDというものを知った時からずっと感じていた。
その時点では、ASDとだいたい併発するものだというのも知らなかった。
ここ一年くらい、ネットを通して専門医の監修を経た情報や治療歴の長い当事者の情報を拾うようになり、ぐんと発達障害についての知識が増えた。
(これ自体は素人の感想なので、詳しいことは専門医の情報を探してください。)
その結果、性格や体質だと思っていたあれもこれも、実は発達特性に由来していたのかな、と新たに感じることが沢山あった。
特に、父方から遺伝したらしいASD的気質については、最近まで気づいておらず、単なる短所だと思っていたものが多かった。
(決してASD=短所などと言うつもりはなく、ただ、細やかな感情の交流には支障もあるので。)

これまで自分の短所と思いながら治せずにきたことのひとつが、気が付いたら人の話に割り込んだり、自分のことばかり話してしまう癖だ。
友達と久しぶりに会って会話する場合、相手の近況も聴きたいしこっちの報告もしたい、と情報交換を楽しみに話し始めるのに、最後は必ず、しまった自分ばかり喋ってるじゃん、となる。
それで雰囲気が悪くなる人とは友達になってはいないけれど、本当は嫌なのではないかといつも心配だ。

つまりわたしは、「会話泥棒」と名付けられる、昨今では嫌なやつの代表例とされるタイプなのだ。
他の問題行動と同じで、個人差がかなりあるが、これは発達障害の代表的な症例のひとつでもある。
そのことが、世間にももっと浸透してほしい、そしたらそんなに忌み嫌われずにうまくかわしてもらえるのでは、とも思うけれど、実際に嫌な思いを沢山させてしまうのだから、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
最初は、相手と仲良く色んなことを話したいと思って、聴く気もあって、だからこそ話しかけるのだけれど、相手の話から頭の中で連想が始まって、ついそれが溢れ出てしまう、それがたいていの会話泥棒の実態だと思う。
迷惑に自覚のない俺様タイプの人もいるとは思うが、その人たちも基本的には脳機能の仕組みからそうしているにすぎない。
何せ、わかっちゃいるけどやめられない、のです。しょんぼり。
まぁでも、自分では諦めず、会話を聴く練習を一生続ける覚悟をするしか、ないんでしょうね。

他にも、わざとでないはた迷惑な症例がつまった体質なので、参考として、一般的にも徐々に浸透してきた、基本的な発達障害の性質を、あげてみる。
学習障害と嘘がつけない以外は、だいたい私はあてはまっているけれど、困りごとの出方は人それぞれ少しずつ違う。

<ADHD:注意欠陥多動性障害由来のもの>

  • 片づけが極端に苦手で、カバンの中も机の中もぐちゃぐちゃ、荷物が多い

  • やる気はあるが、段取りできない為何でも先延ばしにして手がつけられず、締め切りのある作業全般が苦手

  • 時間の余裕をみて、と思って何かに取り掛かっても、最終的にはいつもギリギリで余裕がない

  • 返事したこと自体忘れたり、新しい出来事に気を取られて指示の中身を忘れる(メモを取ってもメモした場所を見失う)

  • 字がうまく書けない(筋肉を滑らかに動かせないのと集中が続かない)

  • つねに忘れ物が多い

  • 作業中に目や耳から入る情報が気になり、その都度新たなものに手をつけるが、どれもなかなか終わらせられない

  • 好きなことだけは集中して続けられるが、それ以外は集中が逸れ、単純作業でも時間がかかったり、とにかく不注意によるミスが多い

  • 多動型の人は座っていられず動き回るが、不注意優勢型の場合は、思考だけ動いて行動できず、ただぼんやりして見える

  • 情報が多すぎたり失敗に気づく度に、頭が真っ白になる

  • 症状が物心ついた時からあり、遺伝体質なので親族にも同様の人がいる、大人になっても、工夫してある程度社会に適応することはあっても、一生治らない

  • 書字障害・読字障害などの学習障害や、運動障害を併発しがち

  • 三次元的把握が苦手で、時間や空間の情報処理が下手、方向音痴

  • 周囲から否定され責められ続けるので、鬱病などの二次障害を抱えがち

<ASD:自閉症スペクトラム障害由来のもの>

  • 視線を合わしたり接触するのが苦手

  • 言葉通りに捉えがち、(度合いは人それぞれだが)嘘がつけなかったり、空気が読めず、場違いな言動をとることが時々ある

  • 会話のキャッチボールが苦手、言葉のオウム返しをする人も多い

  • 言葉で表されない周囲の表情や感情を読み取れない

  • 騒音や光に敏感な人が多く、浴びるとパニックを起こしやすい

  • 食べ物や服や持ち物、好む人などにも、五感に関わるこだわりが多い

  • 予定変更があるとパニックになりやすいので、全てにおいてルーティーンを好む

  • 高IQの人には、パターン思考が得意で論理的、PC操作に親和性のある人が比較的多い

当事者であるわたしが、自分のことで、個性でなく症状に関連があるらしいと最近気づいたのは以下のようなものだ(ADHDとASDどちら由来かは省略)。

  • 3人以上で同時に長く会話を続けると、(連想が止まらないままに会話を追い続ける困難の為)場合によっては寝込むぐらい体力を消耗する

  • 毎日家に帰るとすぐ横になりたくなる(常に情報処理がバグってる為、脳がエネルギーを大量に使っている)

  • 意識が逸れるので歯を磨くのが悲惨なほど下手で、磨き残しがあり、虫歯が多い

  • 記憶力はあるが、感情や会話の記憶の一部が、異様な速さで消えていく(たぶんその為に物心つくのも遅かった)

  • 眠くなるはずの痒み止めも飲んでいるが、寝つくのに大体1時間以上かかり、最後まで眠れないこともある

  • 人混みが苦手な理由は、マイペースだからというよりは、周囲の情報量が多すぎるせいらしい

  • 衝動に勝てないので、空気に従うのが困難

  • 行列に並ぶのは、衝動を抑える困難と情報量が押し寄せるという2つの理由から苦手

  • 好きな物をつい収集しがちで、興味のあるものの話以外が長続きせず、結果的にどうしても自分の好きな物の話だけしてしまう

  • 予定変更の為の段取りが苦手なので、何か頼まれたらとりあえず断ろうとするか、全部引き受けるかの両極端になってしまう

  • 待ち合わせを自分で設定するのが苦手で、人間関係の維持が難しい(相手がその時本当に自分に会いたがっているのか推測できない、適切な時間・場所・一緒に何をするかなど、判断項目が多い為考え出すと頭がフリーズしてしまう)

  • 快不快以外の感情が表情に出にくく、感情が乏しいと思われがち

  • 悪意が持てないので、人の悪意の存在はわかるが、根本的になぜ悪意を持つのか意味が理解ができない

こんなの長々と書いても、ただの言い訳にしか見えないのかな。
発達障害は、わたしの大まかな理解では、オキシトシンやドーパミンその他の分泌異常により脳機能がスムーズにいかない体質がまずあり、適正発達者向けに設計された社会で生活すると、様々な生きる上での障害が起きるものです。
迷惑もかけるので、申し訳なく自信も持ちようがない状態。
失敗の連続でわかりあえず生きづらい、でも何とかせねば、というか体もだるい、そんな感じで今もかろうじて生きてます。

だから多目にみてほしい、と一方的に相手の寛容を求めるつもりは別にないです。
それでは損だけさせてしまう。
ただ、わたしは自分の能力の特性がはっきりしてきたことで、周りの人についても、あの人はいつもあれで文句を言われているけど、本人にもどうしようもないのでは、と思うことも増えた。
発達の具合がどうだろうと、皆それぞれに、体質や癖や調子の浮き沈みなどが必ずあります。
それらを一旦、誰にも変えられないものとしてお互い受け入れることで、責め合うのとは別の関係性を持てたらいいのにな、と思ったりもするのです。
とは言っても、自分はもう少ししっかりしなければという気持ちは、やはり残る。あーあ。

タイトルは、ハルヒさんでなくペンギンさんと、あと『長距離走者の孤独』へのてきとうなオマージュです。
ヘッダーの写真は、近所の草むらの花を撮ったもので、脳内の情報の散らかり具合を思って選びました。

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