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ヨガと予知と中央線・1『景子の一日目』

『津谷景子の一日目』

知り合いから突拍子もない話をされたらあなたは信じるかな? 私はけっこう信じてしまう。信じたほうが世の中けっこう楽しい。人魚も河童も宇宙人もいたらきっと楽しいと思う。世界滅亡説とかは話半分で聞いているけど、最後の一日は何をして過ごすか考えるのはけっこう楽しいじゃない。自分の本当に望んでいることも少しわかるしね。
 でも大人になるとそんな信じ難い話をしてくる人はほとんどいない。オカルト好きの友達が都市伝説を話してくれるくらい。私は心の底で何か刺激のある話を求めていたのかもしれない。
そして、その想いは不思議なことに叶ってしまった。

 吉祥寺駅西口から二分ほど歩いた場所に三階立てのビルがある。一階のおしゃれな耳鼻科を横目に階段をリズミカルに上がると、お子様用の歯科医院があり、そしてその上に私の勤めているヨガスタジオがある。そこで私はヨガを教えている。


 ガラス扉を開けると藍色の絨毯が敷かれた部屋に受付がある。私の持ち場の一つだ。待合室には白いソファーセットにヨガの本が多数、それにミネラル水が飲める給水器が置かれている。給水器の裏にはプライベートレッスン用の個室があり、別料金でマンツーマンレッスンがそこで受けられる。
 

 その奥にあるスタジオは大きな窓が連なっていて、吉祥寺の駅前を一望できる。駅前だと言うのに日当たりもよく、またパトカーのサイレンぐらいしか騒音が届かないので私はとても気に入っている。たまにどこからともなく電子レンジのチンという音が小さく聞こえたりもするが、ヨガを深め、瞑想するにはもってこいの場所だ。

 私の勤めるヨガライク吉祥寺店は、男性も通えるヨガスタジオで、少ないながらも男性の生徒さんもいる。日本では美容効果を大きく取り上げられているためか、ヨガの男性の生徒が少ないのが現状だね。三十人に一人男性がいればいい方かな。
そんな少ない男性客の一人が天間(てんま)明(あきら)さんだった。
 

 明さんがうちのヨガスタジオに通い始めたのは、オープンしてすぐだったので、ちょうど去年の八月十日になる。ヨガライク吉祥寺店の記念すべき十人目の会員様だ。
 オープンして一年経った今ではさすがにないけど、オープン当初はお客様が少なく、三十人入るスタジオでマンツーマン指導になることがしばしばあった。このヨガライクは月謝制で、1万5千円払えば毎日5回ある授業を何回受けてもよいというシステムだ。明さんは熱心な生徒で毎日のようにスタジオに来て、何度も指導を受けていた。そのため、私が一対一で教えたことも多い。

「先生、ヨガで人は変わりますか?」
 初めて会った明さんは少し関西弁の訛りがある言い方で、そう聞いてきた。
明さんはヨガにより体の細部を意識し、自分の能力を向上させようとしているらしかった。
「はい。いろいろなポーズをして、血行や気のめぐりが良くなって、知らなかった自分を発見できるのもヨガの良さですよ」
 私がそう答えるのを聞いて、明さんは頷くと、私の前のヨガマットに胡坐を組んで座った。
火曜日午後の二人っきりのヨガスタジオは、まだ新米だった私としては緊張が和らいでありがたかった。
 

大きな窓から太陽の光が入り、木床がワックスで少し光って見える。私の教える声と、明さんの呼吸の音だけの静かな教室の物音だった。たまに明さんは右足に痛みを感じるようで、ポーズをしている時に、顔をしかめて膝をさすることがある。子供の頃、事故で痛めた古傷が痛むらしい。
 

明さんは、修行を積んだお坊さんのような落ち着いた雰囲気を出している。それと同時にいつ消えてもおかしくないような危うい空気も出していた。何だか一つの目的のために、すべてを削ぎ落として生きている。そんな感じに思えたのだ。危ういストイックさを持つ修行僧。それが明さんから感じる印象だった。
 

別に私のその思いが正しいことを証明するために言うわけでもないが、明さんは服装には無頓着で、毎日のように同じ服を着ている。ジーンズに黒色のサマージャケットが夏の定番みたいだ。食べるものにもあまり気にしていないようで、食事は全国チェーンの牛丼ばかりらしい。彼女もいないようで、たまに妹さんが料理を作りに来てくれるときだけ、健康的な食事を取っているみたい。ちゃんと人生を楽しんでいるのか心配になる。私もそこまで人のことを言える生活をしていないけれどもね。
 

ヨガを始める前は、細身の体で青白い顔をしていた明さんだったが、半年もすると健康的でさわやかな顔になっていた。それと、男性客が少ないので、ヨガライク吉祥寺店の中では明さんはちょっとした有名人になっていた。まあ、明さんは毎日このスタジオにいるので有名になるのも当たり前かもしれない。
 

明さんは仕事をしていないようで、かといってヨガのインストラクターを目指しているわけでもないらしい。ひたすらヨガに打ち込み、肉体と精神を鍛えているみたいだった。
「ケイさん、ちょっと特別な話があるから今日の仕事が終わったら食事でもしない?」
 

そう唐突に食事に誘われたのが、明さんと出会って一年と少し経った八月二十二日だった。私は受付の席で、パソコンを操作していたので、驚いて変なところをクリックしてしまう。


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