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別に45歳定年でもいいのでは?ただし、、、

さて、表題のニュースは先週かなり人気になったワードであるが、反応はおおむね、45歳定年というワードを使ってしまったサントリー新浪氏への批判であった。

特に、上記山口氏のリンクでは、企業経営者の立場なども視点におきつつも、安定した生活を奪うことにもなりかねず、45歳定年の発言を批判している。

しかし、私は敢えて『45歳定年』導入によるメリットを上げてみたい。それは、この日本で今何が欠けていて、その結果何が起きているかということに対する分析でもある。なお、私の視点については、下記リンク内の対談でも紹介されている、『最強の生産性革命 時代遅れのルールにしばられない38の教訓』などにも影響されているが、私自身のオリジナルな経験にも基づいている。


1.企業はすでに変わりつつある

冒頭で紹介したTwitterのコメントであるように、一般的に日本の企業は初任給が低く、その後在籍年数が長くなるにつれて給料が上がっていく。この考え方としては、初期のころは仕事を覚える意味があり、教育費用を織り込んだものだろう。しかし、これがマイナスとなり、『入社後の退職率』が上がっているとは考えられないだろうか。

いままでの日本は終身雇用の考え方があるので、初任給が低くても文句があまりなかった。しかし、すでに終身雇用は現実的には保証されない。長く勤めていても、給料が上がるような給与体系(いわゆる職能給)はどんどんなくなっていき、評価制度に基づいた給料が支給されていく(職務給)。

上のリンクが非常にそのあたりの雇用と賃金制度の解説が分かりやすいのでリンクを貼ってみる。

日本は、すでに現実的には「人に仕事をつける」ことから「仕事に人をつける」考え方がどんどん進んできているといっていい。

下記リンクの分析を見ると、『管理職に職務給・役割給の制度を導入している企業の割合(調査年2019年 調査対象:上場企業1947社の人事労務担当者・回答企業102社)』は、1999年には21.1%だったものが、2018年には78.5%まで達している(ただし、職能給の考え方が廃止されているわけではない。併用されているというほうが正しいだろう。)

そうなると、山口氏などが指摘している『子育て世代にとっては、結婚して子育てでこれからお金が必要、というときに給料が上がらなければ、ますます少子化が進む』という趣旨の発言は、すでに多くの企業では通じないものとなっている。年齢が上がってこようが家族がいようが、それ相応に頑張って仕事しない限り給料は上がらないのだ。

私の経験からすれば、もともと務めていた会社は、大きなリストラも行ったし、40歳から50歳に差し掛かる社員の中で、多くの人を「出向」「転籍」させてきたのも見ている。出向・転籍先の給与体系は本社のそれとはあまりに違うもので、実際は人員削減でしかない。こうした「人員再配置」という名の削減・人減らしなどの施策は、もう何十年とおこなわれている。保険や退職金といった制度もどんどん変化している。そもそも退職金を支払ってくれる時まで会社があるかどうかも分からない。


2.出生率とお給料

山口氏の主張が正しいとすれば、アメリカは能力に応じて給料が高いがすぐ解雇もされる世の中なので、将来に不安があって子どもなどをもうけることができない、、、となりそうだが、実際どうだろうか。

少し古い(2011年)人種による出生率データはあるので、ここに貼る。もちろん、白人全体が高所得者というわけではないのでどこまでここから分析できるかということであるが、白人のみのアメリカの出生率は1990年から2009年までも、1.78~1.87あたりを推移している。

つまり、これだけ見るなら『職務給』が少子化に影響を与えているとはいいがたい。言い換えれば「年齢を重ねるごとに給料が上がっていく安心感があるから家庭を持とうというインセンティブが生まれる」とは言いにくい。

ただ、上記出生率の記事で興味深い点は、日本における分析で『日本国内でも複数の調査結果から裏付けられている。例えば国立社会保障・人口問題研究所が発表した「第15回出生動向基本調査」でも、「欲しいと思う子供の数」まで子供を持たない理由の最上位には「子育てや教育にお金がかかりすぎる」との回答が出ている。』ということだ。
同様の声はお隣の「出生率ダダ下がり最先端の国」韓国でも聞かれる。

なので、子どもを育てたい➡お金がたくさん必要➡給料がもっと上がって欲しいということになるのは必然とはいえる。

ただ、ではどうしたら給料が上がるのかを考えてほしいとは思う。

仕事をしていさえすれば給料が上がるということはないことはサラリーマンならだれもが分かっていることだろう。そんな人ばっかりの会社になったら会社はつぶれるのだ。退職金まであとわずか、という段階で会社が崩壊したらどうするのか。山一証券の破綻の際は、自己都合退職するという人には退職金減額という通知をして転職を妨げたということがあったそうだ。もちろん今の世の中でこれをやると大きな批判が出ると思うが、破綻する会社で何が起きるかはわからない。


3.同じ会社でずっと勤めていていいのか?

多くのサラリーマン、またはサラリーマン経験者なら実体験があると思うが、「なぜあいつは出世して俺は、もしくは他の優秀な人が出世できないのか」という状況に出くわすことはあるだろう。それは、いわゆる「上司ガチャ」(相性の悪い上司に遭い、正当な評価がされなかった等々)の結果だった、たまたま配属された先がコロナやリーマンショックや震災など、自分には責任がない世の中の大きな変化で営業成績が下がり、出世に響いたなどいろいろな理由があるだろう。

では、その結果あまり評価されず出世もできず給料も上がらず、、、そのまま30歳、40歳、45歳になったとして、そこからでも同じ社内で再起を図ろうというモチベーションが起きるだろうか?

私は起きないと思う。そして、先に転籍や出向の話をしたが、そういった憂き目にあってもなお会社にとどまって給料をもらい続ける人と一緒に仕事をしたことがあるが、まあこの人たちの使えないことといったらなかった。

上記のnoteは私の過去の苦い思い出ではあるが、そこで経験したことは『会社が守ってくれるという時代なんてとっくに終わっているので、自分で何とかしようと思わなければならない』ということだった。

だからむしろ、45歳定年というよりは、定年制度そのものをなくした方がいいのだろうと思っている。いつでも誰でもやめていい、その代わり能力に応じた給料で中途採用をするし、能力に見合わなければカットするし、出戻りでまた就職してもらえる人も大歓迎、という方がいいのではないかなと思う。人材がシームレスに行き来する世の中になっていくことの方が、結果的にすべての人がストレスなく過ごせるのではないか。それが日本において最大のメリットを生み出す施策となるだろう。

実際、職場のストレスで上司や同僚との人間関係を上げる人が多いが、ならば職場を変えることでそのストレスが解消されることになる。問題は、転職して自分の待遇が下がるのではないかということが不安だから、その職場にとどまろうとして、人間関係のストレスをさらに大きくさせてしまうのである。


4.では、凡人はどうするのか問題

山口氏の主張の最後には、
『優秀な人は総じて優秀な人しか世の中にいないかのごとく考えがちだが、実際の世の中はそうではないのだ。45歳定年制を実現させたいならまず、「凡人」が凡人なりに45歳で新たな職に挑戦し、きちんと生きていける世の中を実現してもらいたい。45歳の「一休」たちに「屏風の虎」を捕まえてほしければまず、屏風から虎を追い出してみせよ、という話だ。』とある。

この主張は非常にうなずけるところもある。しかし、納得できないところもある。なぜ、凡人は凡人のままで居なければいけないのか。凡人が成長するということをもっと推奨することをなぜ放棄するのか、という点だ。

私は今ベトナム人のエンジニアなどとも仕事をしているが、彼らは非常に働き者で、勉強熱心だ。それは国が勢い良く成長していることを感じているからだろうと思う。その中で自分も成長すれば、より素晴らしい生活が、世界が待っていると心から思えるから、信じていられるからだろう。

ところが日本では、このまま頑張ったとしても未来は暗く、頑張ったとしてもむしろ損ではないのか、、、ならばいっそ普通・凡人のままでいた方がいい、、、そんな人が多い気がする。

しかし、だからといってそのままではさらに世の中の「衰退」に流されて一層悪化するだけである。船が沈むなら、乗り換えなければならない。山口氏いわく、『国は国民を追い出すことはできない』とあるが、国民は同じ国であっても、企業は、仕事は乗り換えることができる。なんなら国を乗り換えることもできる時代だ。

上記のサイトは転職サイトの記事なので少し割り引く必要もあるが、『努力が報われないと感じる人は、継続的な努力を行う習慣がないという傾向にあります。』という指摘は非常に鋭いと思う。

かつてIT企業で「職業訓練」の仕事(プログラミング教育)もしていたのだが、多くの受講者に上記のような「継続的な努力を行う習慣がない」ことを感じ取った。しかし、そういう人に対して、丁寧に接しつつ習慣を改めてもらう(自発的に!)ことによってその後非常に素晴らしいIT人材となったこともある。ただ、残念ながら途中でドロップアウトしてしまった人もいる。もともと計算などが苦手でプログラミングの基本的考え方がわずかな教育期間では改善できなかったなどの理由がある。

45歳定年制度を導入するというのはあくまで一つの考え方に過ぎない。必要なのは、生涯教育の制度と人材市場の流動性を完全に高めることだ。そのために保険制度はより簡素にITで移行や登録ができたり、決められたプログラムのみの『職業訓練』に対しては柔軟性のあるプログラムや、そもそも基礎的学力をカバーできるような教育支援機構の設立など、セーフティーネットのような仕組み化が必要だと思う。そういう状況を作っていけば、おのずと人の能力は上がる下地ができ、企業にしがみつくこともなくなり、凡人であっても自分に見合っている場所への転職やそれに向けた自己研鑽への積極的な取り組みが当たり前となっていくかもしれない。そうでないと、ベトナムはじめ多くの国に置いて行かれるだろう。サッカーワールドカップ予選で例えると、ベトナムやタイやカンボジアに負けることが当たり前のようになるかもしれない(日本人のプレイヤーで世界トップクラスはいるかもしれないが、国全体のサッカーの力がなくなっていくことでそうなるかもしれない)。

ちなみに少子化については、韓国などもそうであるように、一人当たりにかかる教育費(学びごとなど含む)があまりに高すぎることがネックであることと、子育て負担が家庭にのみ課せられて、共働き世帯にとっては保育園などでそれをカバーしきれない(お迎え時間が決まっているなど)ことがボトルネックだと思うので、これは各個人が努力して収入を上げたとしても、受験戦争が過熱して塾の費用が高騰すれば全く効果がないので、教育にかかわる費用や、地域による見守りなどの制度設計を国や自治体がどこまで支援・実施するかという議論が必要だと思う。浅はかに自治体が「子育て世帯に○○万円支給!」などとする兵庫県明石市などの政策はのちのち自治体が困ると思う(話が長くなるのでこの話は後日)

45歳定年制なんて、企業経営者の自己中心的な浅はかな考え方だ!という批判をするのは気持ちはわかるが、では今のままでいいのかということについてはもっと考えた方がいいのではないだろうか。

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