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私は母の恩人なのか?

 今年の5月は、母にとってスペシャルな月だ。私はアメリカにいるが、日本の施設にいる母とは、1日おきに見守りカメラ経由で話す。母は大腸がんでもう抗がん剤も効き目がなくなって、ホスピス型老人施設に入ったのだけど、なんだか元気にしている。認知症もあるけど、話を合わせるのが上手い人なので、スムーズに会話できる時がけっこうある。

 「今月は3つお祝いがあるじゃん。母の日でしょ、誕生日でしょ、それに米寿だね」と私が言うと、「あんたが送ってくれた母の日のクッキーが届いたよ」との返事。すごい。理解してるじゃん! そしてその直後に、母は自分から話題を提供するかのように続ける。「今月はあたし、3つお祝いがあるのよね。誕生日と…、あれ、あと何だっけ?」ああ、認知症あるある。桜・猫・電車。

 2年前の夏、私は一人暮らしの母の様子を見るために、3年半ぶりにアメリカから一時帰国した。母は飲み薬の抗がん剤による大腸がんの治療中だった。母のアパートで目にしたのは、認知症の兆候あるあるだった。

 汚部屋になりつつある室内。同じ物が沢山入っている冷蔵庫や棚。大音量で一日中ついている居間のテレビ。寝るとき以外は居間だけで生活しているような感じで、テーブルの上には薬や食べ物や雑多なモノ、かごに乱雑に積み重なった衣類、そして壁ぎわにはいつも使う鞄やバックが4種類並べてあり、母は1日に何度も中に入っている病院の診察券やお財布や保険証を確認していた。

 最初は、多少変だが普通に喋ったり、食べたりしていた母だったが、そのうち一日の大半を寝てすごすように。食欲も減退したが、特に熱があるわけでも、苦しそうなわけでもない。がん治療で定期的に病院に通院していたので、次の診察で医師に相談しようと思っていた。

 とりあえず私は介護保険の申請をし、ケアマネさんについてもらったり、デイサービスの見学手配をしたりした。しかし母は私の一歩先を行く。ひたすら眠っているだけだが、食事がとれないどころか、立って自分でトイレに行くこともできなくなってしまった。デイサービスどころじゃない。「高齢者はすぐに体力が落ちて命取りですよ」とケアマネさんに言われ、病院に連れて行くと、そのまま入院となった。

 母は抗生物質の点滴と2週間ちょっとの入院で回復したのだが、今思うと、病院に連れて行くのがあと一週間くらい遅れていたら、本当に死んでいたのかもしれないなと思う。私って、母の命の恩人なのかも。

 一人暮らしはもう無理なので、今のホスピス型施設に入所して、体はさらに元気になり、今月の誕生日で米寿を迎える。だけど認知症のせいか、無表情な時も多いし「つまんない」、「やることがない」と言って、ため息やあくびを連発されると、私はもやもやしてしまう。
 
 どうして良いかわからないので、「お祝いだから」と母が要求するおやつとビールを送る手配をする。なんで40個パックのビスコが1週間でなくなるのかなんて聞いても、まともな答えは期待できないだろう。88歳のがん終末期の人に、健康のため食べすぎ、飲み過ぎに注意しようなんて助言もナンセンスだし。

 確かに母の命は助けたんだと思うけど、私は本当に母の恩人なのかなと思ってしまう5月です。

 

 


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