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オパル・リーというヒーロー

なんだか日常に流されているうちに、また7月7日がきた(米国時間ね)。一応、結婚記念日でもあり、2年前にnoteをはじめた記念日でもある。コロナでもサラリーマン仕事は続き(はい、ロックダウン中も毎日、会社に行きました)、毎年一つづつ年をとっては頭の回転も動きも鈍くなり、毎日、着実にアラ還に向かって進むしかないのか?と、ため息。

先月、そんな私にカツを入れてくれる人の存在を知った。テキサス州フォートワース市に住むオパル・リーさん(上の写真の人ね)。アメリカ政府は今年から、「JUNETEENTH(ジューンティーンス 奴隷制度廃止記念日)」と呼ばれる6月19日を、国の祝日にすることを決めた。これまでもテキサス州をはじめ、全米各地でジューンティーンスは祝われていたのだけど、オパルさんは、この日を全市民の祝日にしたい!と5年前から取り組んでいたそう。

リンカーン大統領の奴隷解放宣言は有名だけど、それですぐに黒人奴隷がみな自由になったかといえば、実はそうじゃない。当時はまだ南北戦争中で、南部の奴隷たちは戦争が終わるまで奴隷解放宣言が出ていたことさえ知らなかった。で、米国で一番最後に奴隷が解放されたのは、テキサス州のヒューストンに近い海辺のガルベストンで、なんと奴隷解放宣言から2年半以上たった1865年6月19日だった。

自由を手に入れたはずの黒人市民は、現在に至るまで様々な差別にさらされてきた。オパルさんが子供のころ、両親は白人地域に小さな家を買うことができたが、黒人家族が移り住むことを快く思わない白人住民の暴徒から、家を焼かれてしまったという。

そんな環境でも、オパルさんは教育を受け、大学院まで進んだ。長年、地元の公立学校で教鞭をとり、退職後は教会や地域で黒人の歴史啓発や人権活動に取り組んできた。そして2016年、オパルさんが89歳(‼)の時、ジューンティーンスを連邦の祝日にするための署名キャンペーンを開始。ジューンティーンスには、連邦の祝日化を訴えながら各地で2.5マイル(約4㎞)行進するようになった。https://www.opalswalk2dc.com/

そして今年。ホワイトハウスで、バイデン大統領がジューンティーンスを連邦の祝日に定める法律に署名するのを、まじかで見守るオパルさんの姿が。94歳の勝利です!

先月、フォートワースでジューンティーンスを祝った時も、オパルさんは再びみんなと2.5マイル歩き、最後は勝利のダンスとオパル節ともいえるスピーチ。いやー、本当にパワフルなお姿に圧倒されました。私もアラ還がどうのと、ため息をついている場合じゃない。これぞ奇跡の90代、私もぜひこんな風に活動的でいたい!と思いました。

オパルさんが語りかけるビデオ、ぜひ見て。「ジューンティーンスは、テキサスの祝日じゃない。黒人の祝日じゃない。これはみんなが自由であることを祝う日なの」と熱く語るオパルさん。本当に、こんな94歳になりたい。


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