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仲間の範囲、まだ出逢えていないバーチャルな仲間の存在

5月になってからの出来事を通して、かなりの精神的な成長を遂げた気がします。

その成長の1つは、『仲間の範囲』の認識が変わったことです。
私の思考の中に、ここにはいない仲間、これから出会う仲間の存在が、
『仲間』の認識において確実に意識されるものになりました。

いつも顔を合わせる学校の友人、同じサークルの人、共通の趣味を楽しめる人、家族、職場の人。
仲間というと、顔が想像できる仲間を真っ先に連想します。

だけど、人間は、顔も知らない、会ったこともないのに『仲間意識』を持つことができます。

その仲間意識は、共通のルールや掟のような決まりごとを受け入れた人たちに、広く適応されるように感じます。

(同じ学校を卒業した知らない先輩たちに仲間意識を抱く感覚とにいてるかも)

これが、目の前の空間にはまだいないけれど、認識上に存在する『バーチャルな仲間』です。

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仲間というと、ルールを破る者は、制裁されるという暗黙のルールもあります。

小さなコミュニティで仲間と認めてもらえないこともあります。
それはそれで事情があり、審判されるべきなんだと思います。

でも、メタ的な視点でみると、世界はあらゆる人が分業して成り立っているし、宇宙からみたらもっとあらゆるものが循環しています。

仲間の範囲に境界線を引くのは人間です。

人間がやり始めたことは、ずっと昔からものを分けていくことばかりだったから、
本当は境界線なんてないのでは、なんて思っています。

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