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「普通」の中の多様性 - 声が届く社会をつくりたい-(後編)

こんにちは、カタリバRootsプロジェクト(外国ルーツの高校生支援事業)スタッフの青山(仮名)です!

前編:社会課題に主婦のわたしが向き合える?
後編:声が届く社会をつくりたい(本記事)

後編では、「こんな社会になれば、彼らがもっと生きやすくなるのではないか」私なりに自分の過去と外国ルーツの高校生たちとかかわる中で見えてきたことを言葉にしてみました。


外国ルーツの生徒を取り巻く社会について知るにつれ、
厳しい現実が浮かび上がってきます。

生徒が立ち止まっているとき、単純な応援はできない、、と感じます。
どうにもならないことを目の前にしたときは、「苦しい想い」しかない。
そんな経験が自分にもありました。

※社会課題と自分をつなげる過程での体験をリアルに伝えるために、文中、強めの表現がされている部分があります。特定の誰かを責めること、糾弾することを目的にしているわけではなく、個人の体験のふりかえりを通して、次の行動につながる過程を伝えたいと考えています。ご理解いただけますと幸いです。


渦中にいるときに、声をあげるということ、声をあげられるということ

子どもと一人で向き合う日々

長男は幼いころ、発達遅延・自閉傾向・広汎性発達障害(現在は「自閉症スペクトラム障害/自閉スペクトラム症」という診断名に包括されている)と診断されたことがあります。療育手帳(知的障害のある方へ交付される障害者手帳)も持っていました。いまは手帳も返納済みで、普通の大学生をしており、苦手は人並、もしくはそれより多くあるかもしれないですが、特別なサポートなく日々過ごしています。

今となっては当時くだされた診断が正しかったのかは正直よくわからない。ただ確かに成長はゆっくりだったし、傾向はあったとは思います。

典型的なワンオペ育児でした。
夫は早朝出勤、深夜帰宅の超激務。超社蓄。遊びや呑んで遅いわけではない(と思う)。土日もどちらかは仕事になることも多く、ただ応援するしかありませんでした。
子どもは大好き!家にいる短い時間のなかでとにかく子どもが遊んでくれる、子どもにとっては楽しい父親だったと思います。が、正直子育ての戦力かというと・・・激務過ぎて、深夜に帰ってから夕飯を高カロリーの丼ものを食べてもどんどん痩せていくのは恐怖でした。
夫もしんどかったと思いますが、ワンオペで育児をすることがとにかくつらかった。実家は遠距離で頼れない。夫の実家にも、当時はそうそう甘えられませんでした。

子どもに一人で向き合う時間がとても長かったことを覚えています。長男は抱っこじゃないと寝ない。おろすと起きる。寝不足で朦朧の中、授乳と排泄とお世話に尽きる時間。皮膚が弱くてオムツかぶれ、アトピー、喘息。そして発達の不安・・・育児書の中の成長段階からはあきらかに遅れている。

数少ないお友達と比べてしまう。1歳半検診、3歳健診とも指摘はされるが、要観察。観察とはなんだ?追いつくの?いつまで観察するの?3歳保育で幼稚園に入れたいのに、このままでは無理な気がする。ただただ焦りがつのりました。

行政のケースワーカーに相談にいくと、そこから発達相談、検査(発達障害の診断のためではなく、心身の発達をの状態を調べる検査)をすすめられましたが、予約は数ヶ月待ちでした。待っている間に幼稚園に入園。やはりお友達との差は明確だし、いつまでたっても慣れてくれませんでした。


自分の限界のあとにきた、怒りと覚悟

待ちに待って諸々の検査を終えて、診断の日。不安と緊張のなか、2人の子を連れて病院へ。その日も夫は仕事でした。行く道すがら、近くのお寺の前で筆書きされた標語を見かけました。

「心配せんでよい 必ず良いようになる」

もう限界だったのだと思います。見た瞬間こらえていたものが一気に溢れて、運転中にもかかわらず号泣しました。ひとしきり泣いた後、なぜかすっきり。「覚悟」ができたのかもしれない。私はもう大丈夫、そう思いました。

長男は、精神遅滞と医師から診断されました。今後の検査によっては自閉症や、広汎性発達障害の可能性もあるとのこと。ショックではあったけれど、素直に受け入れられました。ショックよりもこれまでの育児のしんどさと不安には理由があった、と素直に受け入れられて、自分のせいではないことにほっとしたのかもしれません。

その後、この子は普通には生きられません、と若い心理士から言われた。何かしらのサポートがずっと必要ですと。言い方?表現?におどろきつつも、絶望感はあまりありませんでした。

その後の私の最難関。夫と義理家族に報告しなければなりません。義理の母は元保育士。ちょっと言葉が遅いんじゃない?と心配されていました。報告したら、何を言われるか。

わたしの様子から不安を察した医師が、家族と面談をして話をしてくれるといってくれました。お母さんの育て方に問題がなかったことをきちんと伝えますよ、と。確かにわたしから話すより説得力はあるだろう。しかし、とりあえずわたしから結果を伝えることは必要でした。

夫は優しいけど、どちらかといえば、ことなかれ主義に見えました。わたしからの検査結果報告には戸惑いを隠せなかったようで、悪気はなかったと思いますが「育て方のせいでは?」と言われてしまいました。
障害と言われて、たいして困った状況に出くわしたことがなかった夫が簡単に受け入れられる事実ではなかったのでしょう。ですがこの瞬間、あまりにも他人事な声かけに、言葉にならない悲しみと、呆れと、震える怒りが、私を襲いました。

父親として今まで育児にどれだけ関わってきたのか
どれだけ心配した?どれだけ不安になった?
どれだけ泣いた?私と同じだけ泣いてみてよ

初めて伝えた怒りに

夫は静かに泣いていました。

おそらく一生忘れない怒りだと思います。

見て見ぬふりをしないで!この子を支える親として、あなたも覚悟を持って!というような願いもあったのだと思います。

それからさらに辛かった義実家への報告。
それはそれは可愛い初孫だもの、こちらも受け入れられないようでした。

母親の育て方が悪いのでは?
関わり方が上手じゃないと思っていた
こちらで引き取って育てようか

夫の言葉以上に辛辣な問いかけに驚愕しました。
とにかく医師が話すと言っているので、そちらで詳しく聞いてください、としか言えませんでした。

わたしの言葉か医師の言葉か何が響いたのかはわからないけれど、夫はあきらかに変わったように思います。激務に変わりはないし、できることはそう変わらないのだけど。他人事が自分事になったのか、とにかく話を聞いてくれるようになりました。

それからのわたし。子どものために強い母になろうと決めました。普通には生きられないと簡単に言ったあの若い心理士を、育て方が悪いと言った夫と夫家族を見返してやると自分を奮い立たせながら。


誰かに「助けて」と声をあげること

保育園に通いながら、療育は通えないと言われました。どちらも厚生労働省の管轄かんかつだから、2重には受けられないと。なぜ助けてもらえないんだろう。保育園に通うための基準はクリアしているはず。全うに保育料も払っている。幼稚園に通っていたら受けられる療育が保育園では受けられないとは一体どういうことだ、と行政に意見したこともありました。

逆に助けてもらったこともたくさんあります。いろんな場面で助けてほしいと手をあげたことで、多くの支援、たくさんの専門家やサポーティブな学校に出会えました。これまでのたくさんの出会いが、長男に自分で頑張る力を与えてくれたのだと思います。

どうにもならないことを目の前にしたときは、「苦しい想い」しかない。

目の前の現実が現実だと認めたくない、耳をふさぎたい、逃げ出したい、誰かのせいにしたい。朝起きたら夢かもしれない。立ち止まって、誰かが救ってくれるのを待っていたかったけれど、「私」がこの子を救う親だった。

ありのままを認めて、今現状を受け入れられたら、その先につながる道はあるんだと、今ふりかえると思います。誰かに「助けて」と求めることができたら、手を差し伸べてくれる人がいる。私の一番の成功体験は、声をあげて救いを求めたことだったと思います。


代わりに声をあげることは、できるかもしれない

私自身、ひょんなきっかけから、遠い世界に感じていた、外国ルーツの高校生の世界に関わることになったのですが、、
(カタリバRootsプロジェクトに関わることになった経緯は前編で詳しく書いています。)

そんな私の中にも、生徒たちとつながる一歩を見つけ始めた今日この頃です。私自身が苦しかったとき、声をあげて救いを求めたことが前を向く一歩になりました。生徒たちの厳しい現状に、わたしは専門的なアドバイスはできないけれど、
話を聞いて、一緒に助けて!と手を挙げることはできるかもしれない。
誰に向かって手をあげたらいいのか、一緒に考えて、必要な専門家につながるようにもがきたい、と思っています。

メンターとして、これまでチャレンジを伴走してきた生徒に修了証を手渡しました🌼

生徒と個別に話す機会も増え、生徒たちの状況は、想像からリアルなものに変わってきました。

わたしが持っているカードは、
・40年越えの人生経験
・子育て経験
・社会人経験(ワーママ経験?)
・教育に関わったのは、自分が受けた教育と、親として子どもたちと学校との関わり

それは全て、生徒の経験に思いを馳せ、生徒と接するときのヒントになっていくのかもしれない、と今は思い始めています。

生徒のお話を聞いていく過程で、私のなかで蓄積されていたカードが1枚、また1枚と、引き出しから見つけていく感覚。私の経験から共感できることをつなげていくことで、彼・彼女たちの経験していることも少しづつ見えてくる。私の経験は個人としての経験だけじゃなく、他者への理解を深めるための経験にもなると気付いた瞬間でした(タロットカードじゃないけど、捉え方次第かも)。

「潜在的な本当のニーズ」は目の前にない。どう探っていいかも分からない。でも解決すべき問題がある。「どうしたら力になれるのか?」答えはそう簡単に出せない。自分の力のなさをまざまざと感じながら、それでも一緒に継続して問題解決のために考えて、悩んでいきたいです。

縁あってたどりついた「外国ルーツを持つ高校生を支援する」仕事。
カタリバで「生徒とのかかわり」カードを得た私は、ビジネスでもプライベートでも相手の「個」「その人が在る背景」と「その人がどう在りたいか」を考えたいと思うようになりました。

「個」と向きあうことは、自分と自分の周りの満足度を高めるような気がしています。ウェルビーイングの実現。それは、遠回りかもしれないけれど、自分だけのビジネスだけでなく、自分の周りとともに上向きになり、小さな自分の周りから会社も、そして社会も底上げしていくことにつながるのだと感じています。


前編・後編と、おつきあいくださりありがとうございます🌻

もし私たちの活動に興味がわきましたら、現場をわかりやすくマンガで伝えるシリーズ、こちらもぜひのぞいてみてください👀