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「いいお母さん」からの卒業

昨日は近くの小学校で卒業式が執り行われたようです。

今どきの小学生たちははかま姿で卒業するのですね。
我が家の末っ子の卒業式では、ほぼAKBっぽいセットアップの子ばかりで、はかまの子は1クラスに1~2人くらいだったのに。

…って、もう7年も前の話!!

時代は流れますねぇ。


7年前。
末っ子の小学校の卒業式を終えた後、
「これで我が家に小学生がいなくなった…」
と寂しく感じたのを思い出します。

保育園の卒園式の時も、中学校の卒業式の時も。
常に「これが最後の…」と思っていました。

なんなら「これでおむつの子がいなくなった」「これでハイハイする子がいなくなった」「これでおっぱい飲む子が…」「これで歯のない子が…」
と、いちいち最後の我が子の姿に寂しさを覚える母親でした。


もうそろそろそんな寂しがりも卒業したと思ったのに、昨年の末っ子の高校卒業の時は「保護者としての役割が終わった」と感じ、しばらく放心状態になってしまって、自分でも驚いたほどです。

上の子が家を出て別居する時もわが身を切り裂かれるようで、誰もいない時に声を上げて大泣きしたし(ここだけの話)。

なかなか「お母さん」は卒業できません。

今年二十歳になる末っ子。
わたしは未成年がいなくなる状態をどう迎えるのでしょうか。


でも、この記事を書いていて気が付いたのです。

これまでのわたしは、
「子どもの成長を喜べないのは悪い母親」
「子どもに依存しているから寂しく感じるんだ」
と、この感情を否定していました。

そして、これから巣立って独り立ちしていくであろう子たちに、わたしがそれを寂しがっている姿を見せてはいけない。
後の子たちが出づらくなってしまうから。
虚勢を張ってでも、平気な顔して送り出さなきゃいけない。
それが「いい母親」なんだ。

そう思い込んでいる自分に。


思い込みですね、これも。
なぜ今更「いいお母さん」でいなきゃいけないって思ってたんだろ。

だって寂しいんやもん。

それでいい。
それが子どもに伝わったらそれでいい。
それを母の愛情と受け取るか依存と受け取るか。
それは子どもたち次第。
人の心は操れないのだから。


昨日は近所の小学校の卒業式でした。

今日はわたしの「いいお母さん」からの卒業式になりそうです。
まだ何回も卒業しなきゃいけないかもだけど^^

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