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みんなのためは、誰のためでもない

この言葉をはじめて目にしたのは15年くらい前のこと。
僕が学生時代から抱いていた違和感を払拭してくれた考え方の提唱者である木下斉さんの著書「まちづくりの”経営力”養成講座」に書かれていたから。
詳しい経緯は↓の記事にて。

異なる分野であれば、もしかしたら当然かもしれないターゲットを絞るという発想が、まちづくりの分野では表立って強調されることは少なかったと思う。まちづくり→公共的→行政→公平性みたいな思考が前提となりやすいから、「みんなのため」っていう言葉を使いがちになる。普通に考えると人によって求めるものが違うことは当たり前なんだけど。
にも関わらず、万人受けを目指そうとすれば、結果的には誰にとっても当たり障りのないもの、魅力的ではないもの、誰からも必要とされないものになってしまう。そして、そういう類のことは、何度やっても結果は同じ。だからこそ、一部の人に刺さることをやっていく必要がある。その分野・種類とか、それをやる主体がまちの中に増えれば増えるほど、その相手の満足度は高まるし、何かしらの満足感を持つ人の数は増えていくことになる。その延長線上にあるのが、みんなのためになるっていう状態。このことは、都市計画家の加藤寛之さんのお話ともあわせて、僕の中で数年前に整理できた考え方。

さて、今回なんでこういう話をしたかというと、今朝、とある学生から嬉しい報告をもらい、学生たちとの関係性について考えたことがあったから。

僕自身はこの仕事をはじめた当初、極端な話、たくさんの学生から好かれたいと心のどこかで思っていた気がする。だけど、人それぞれ好みがあるので、そんなことは無理な話だろうし、どこかのタイミングでそのことをちゃんと認識した気がする。
実際、僕のことを慕ってくれる学生もいる一方で、僕のことを毛嫌いしている学生もいると思うし、それは、態度や反応でもわかる。当初はそれを何とかしたいと思っていたけど、今は全く思わない。まあそんなもんだろうって思えるようになったから。だからこそ、中途半端にあわせようとせず、ある程度ハッキリものが言えるようになってきた気がする。
そんな感じで、ある程度態度というか色みたいなものを明確にすると、当然のようにそんなタイプの学生たちが集まってくる。そのことは、15年やってきて実証済み。そして、そのことが一番分かりやすいのがゼミ生だと思う。子をみれば親がわかる、みたいな感じに近いかな。

少し話がそれてしまったけど、人によって興味関心は異なるし、趣味嗜好も異なるし、ざっくり好みも異なる。当たり前とも言えるこのことを認識したうえで、万人受けしようなんて考えないようにすることが、精神衛生的にも一番いいんじゃないかと思う。と同時に、そんなスタンスが、結果的には良好な人間関係の形成につながっていくんじゃないかと思う。

ちょっとごたついた感じになってしまったけど、最後まで読んでくださり、ありがとうございました!


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