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時にはリスクをおかしたコミュニケーションも必要

チームでの活動を進めていく際に、当然ながら上手くいかないことや悩ましいこともある。その原因が外的環境にある場合もあれば、内的環境にある場合もある。なかでも、それが人に起因するっていうケースは多いんじゃないかと思う。

その代表例として挙げられるのが、チーム内での意思疎通がうまくいかないケース、メンバー間で衝突が起きるケース、スムーズに物事が進められないケースなど。そして、その原因として考えられるのが、メンバー間における相互理解の欠如とディスコミュニケーションあたりかな。

長年、学生たちのサポートをしながら時々目にするのがこんなケース。
例えば、真面目に取り組んでいるメンバーの中に、ちゃんとできないメンバーがいるときのあれこれ。(何をもって真面目として、何をもってちゃんとできていないかは、いわゆる、そういう感じの構図ってことで想像がつくと思うので、一旦置いとくとして。)
通常、最初の時点で改善すべき点がありそうなのは、ほとんどの場合が後者ってことになる。
なぜなら、チームで物事を進める際に最低限守るべき当たり前とされることができていないから。分かりやすい例だと、遅刻や無断欠席を繰り返したり、期日を守らないとか。

ただ、それ以降の対応によっては前者にも改善すべき点がでてくると思っている。
そういう状況で、前者が後者に対してマズイと思われる部分を自らちゃんと指摘できるか、それを続けることができていれば大丈夫な方だと思うけど、それができずに他者に委ねたりしていないか?っていう部分には注目したいところ。

本気で改善しようとして様々なトライをしたにも関わらず、どうしても状況が好転しないってことで、他者に相談したり、他者経由で働きかけてもらうっていうのはアリだと思う。しかし、たいしてトライもせず、安易に力のある他者からの働きかけに委ねようとしたり、環境に対する不満ばかり言ったりするのは、ちょっと違うと思う。
分かりやすくいうと、先生に告げ口して先生から注意してもらう的な。
しょうがない部分もあるかもしれないけど、それでは根本的な解決にならないし、自分たちのためにもならないと思うので、そんな時はできる限り自ら直接的にアクションした方がいいと思う。
そういった意味で、後者だけでなく前者にも改善すべき点があらわれてくるっていう感じかな。

まあ色々なケースがあると思うけど、前者の立場で後者に対して直接的にハッキリ言うことを避けているとか、何度も言うのを諦めているとか、見て見ぬ振りして少し我慢してやり過ごそうとしているとか、心のどこかである種のリスクを恐れているような気がする。

だからこそ、尚更にメンバー間での徹底的なコミュニケーションが必要になってくると思う。本人にとって、それは大きなリスクに感じられるかもしれないけど、その口火を切ることができるのは、やはり前者だと思うし、その一歩を踏み出すことで、本質的な解決の糸口が見出せると思う。

時々引用させていただいている、ダニエル・キムさんによる「組織の成功循環モデル」で重視されている、関係性の質の一致を図るファーストステップがコミュニケーションの質であることからも、同じことが言えるんじゃないかと思っている。

あと、自らが正しいと思っていることが、本当にそうなのか?ほかの見方はできないのか?って感じて多面的に捉え直す姿勢も大切。正解にこだわりすぎる人や潔癖症的考え方の人であればあるほど、他を寄せ付けないくらいに頑なになりがちなので、ちょっとした柔軟性や余白みたいなものが必要だという意味で。


さいごに話がそれるかもしれないけど、今日のネタを書いていたら吉野弘さんの「祝婚歌」の一節を思い出した。

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい

今日書いてきたこととは矛盾するようにみえるかもしれないけど、久々に祝婚歌の全文を読んでみて、コミュニケーションを通じた良好な関係性構築を図る上での本質が散りばめられてるなって思った。
未知への不安や自己保身の裏返しみたいなものをリスクとは捉えず、他者とのコミュニケーションの局面に潜むこのような心理を理解しておくことが重要だと認識し、それを踏まえつつ積極的にコミュニケーションを仕掛けることこそが、リスクをおかしたコミュニケーションってことかもしれない。
ちょっと強引かなw


ということで、今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!


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