見出し画像

【雑記】虚無僧とサメの闘いを忘れるな。

毎年サメは映画で人を殺している。三つ首になったり竜巻に紛れていっぱい人を殺してる。

知ってるか?かつて残虐さ極まりないそのサメが虚無僧と殺し合いをした

演劇で。


ここから語られるのは、老人がもう戻れない故郷(メキシコ)を遠い目で語るのと同じです。肩の力を抜きましょう。

主菜はフカヒレ、副菜は尺八、おれが電楽サロンだ。

今日は間違いなく世界最高であり、この世に燦然と輝くサメ・演劇の金字塔を打ち立てた『虚無僧VSシベリアンシャーク』の話をする。これは桃源郷行きたいと劇団森が2018年4月27日から29日にかけて行った公演だ。つまりこの公演はもうやっておらず、お前がいくらシベリアンシャークに噛まれたいとねだっても無理だ。

じゃあどうして今になって話すのか?それはカタチはどうあれ本当に良かったものはこうして文に残しておかねばならないからだ。ましてや昨日の飯の献立も碌に言えないおれが一年経っても、『虚無僧VSシベリアンシャーク』は鮮明に脳に刻み込まれている。これはつまり語るべきなのだ。

あらすじが真の男

ある時友人と観劇した時だ。帰りに何気なく折り込まれていた別公演のフライヤーを眺めていた。サメ?あらすじは…。

この冬、あなたは海へ行けなくなる――
 日本海に面した小さな町で、一人の女性が死んだ。中学生が海で溺れただけの悲しい事故として処理されたが、その場にいた人間だけは知っていた。流れ着いた彼女の腕に、何者かが食いちぎったような歯形がついていたことを…。
 同じ頃、町に二人の新参者が現れる。ロシアからの転校生、そして『死者が見える』というみすぼらしい僧侶。彼らはサメに恨みをもつ少年と出会い、町に迫る脅威を知る。
 やがて脅威――サメは上陸する。阿鼻叫喚の町で、一介の虚無僧と少年たちに何ができるのか?最後に残るのは怪物の食欲か、人間の怨念か、それとも――。

これは全てフライヤーの裏面に書かれていた説明そのままだ。おれはここに断言する。

このあらすじでちびらない人類はいない

実際おれはちびった。冒頭から人は死ぬし、ロシア?転校生?虚無僧?サメ?今でこそ「パルプだ…。」と言えるが、当時のおれはあほのフルコースとして消化せざるをえなかった。取り敢えず無視は出来なかった。細胞レベルで見なければいけないと直感した。

本編はもっと真の男

あらすじ通り冒頭から女学生が死ぬ。優れた人死エンタメは冒頭で人が死ぬ。カンフューリーが示すように。しかも死に方が断末魔とともに舞台袖から手首が投げ込まれる演出で。おれは否応無く海の前では、人間の尊厳なんてクソ以下だと見せつけられてちびった。

そこにスモウVR、セパタクロー、町の市長トップレスハット卿(常に乳首を隠している)など胡乱物質が加わり、『虚無僧VSシベリアンシャーク』はただの血生臭いスプラッターではなくクレイジーで絶妙なバランスを保った奇跡的な作品へ昇華していた。

また誇張なしに、おれの二歩先で行われるサメと、町との存亡をかけたファイトに息を飲んだ。シベリアンシャークには銃も刀もカラテも効かない。加えて街にバンデラスやステイサムがいるわけではない。非力な人々が犠牲を出しながら、策を弄してサメを殺すのだ。そして闘いの果てに人々は勝ち、踊り、幕を閉じる。後味の良い幕引き。全てに文句のつけようがない最高のエンターテイメントだった。

一年近く経つ今も『シベリアンシャークVS虚無僧』を思い出すと胸に熱いものが込み上げて何か作らないといけない気持ちに駆られる。

何かがうまく弾んで再公演になったりBlu-ray化しねぇかなぁーーーーーーーーー。
(おしまい)

#劇団森 #桃源郷行きたい #虚無僧VSシベリアンシャーク #演劇 #雑記 #備忘録 #サメ


ここに送られたお金は全て電楽のビスコ代として利用させていただきます。