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チェーンフォー悪童

空は鉛色だった。
石畳には破れたゴミ袋が腐臭を放ち、ネズミとカラスの楽園と化している。
奇声をあげながら子供たちが走り回る。
「おらー!」
「やったなー!」
投げ合うのは火炎瓶だ。一本が雑貨屋に逸れる。
火だるまの老婆がとびだした。魅々子はその光景を見つめる。
ドレスデンは悪童の手に落ちていた。空港は落書きの展覧会だった。今や、ドイツにまっとうな人間は残っていない。
大好きな杏子先輩が、食べ尽くしたシュトーレンを作るだけなのになぜだろう。魅々子が考えているうちに、老婆は炭になった。
大人が燃やされるのは見慣れてしまった。子供たちは大人を見たら、見境なく暴力をふるう。それがドレスデン流だった。
ショウウィンドウで魅々子は自分を見る。ファー付きのコートに、鉄仮面を被った女子大生がいた。
急いで通りを抜ける。目当てのお菓子屋が見えた。
店の外壁にはスプレーの汚い字で、「Bad Boy Besuch(悪童参上)」とあった。魅々子は見回すが、子供の姿はない。
「セヌフォ族も板を麻紐にくくり……」
壊れたテレビからドキュメンタリーが流れつづけている。
割れたショーケースを見る。クリームとスポンジケーキのかけらだけ残っていた。
「うう」
レジの向こうから、唸り声が聞こえる。ガラスの割れる音がした。
魅々子が覗く。小太りの悪童がいた。声をかける。
「ヘイ少年」
悪童が振り返る。
「ああ?ああっ!」
魅々子はすばやく悪童を抱えると、そのまま天になげた。天井人の誕生だ。
床には顔の腫れたパティシエが座っていた。
「あ、ありがとう。きみは」
「命の恩人です。シュトーレンの作り方を教えてください」
「悪いが、むりなんだ。この町でお菓子を作れば、悪童たちに囲まれてしまう」
「私が守ります」
パティシエは首を振る。
「無駄だよ。夜は悪霊も出る。いくら君でもどうしようもないよ」
魅々子も、実体のないものには打つ手はなかった。
「こんなときクランプスがいてくれれば」
「工具ですか」
「クリスマスに現れる生き物さ。いつもなら悪さをする子供たちを罰してくれるんだが」
「なまはげですね。今はどこに?」
「さぁ、郊外の山に住んでるって聞いたけど、探すのかい」
「はい。パティシエさんは休んでてください」
「待ってくれ。一つお願いしても?」
魅々子が振りかえる。
「テレビのリモコンをとってくれないか」


そのアパートは、9番街を左に曲がった煙草屋の向かいにあった。吸い殻が残る階段を上がる。209号室の前に、魅々子は立った。
「すみませーん」ノックを3回打つ。返事はない。
「あけますねー」魅々子は手刀で扉を裂いた。ベニヤ材など魅々子にとってボール紙と変わらない。
玄関にはコーラのペットボトルや、ポテトチップの袋が散乱していた。廊下を歩くと、鎖が洗濯物に埋もれていた。危うく踏みかける。
室内にはベッドと小さなクローゼット、向かいに机が置いてある。
机の上にはディスプレイとマウス、キーボードがあった。魅々子は下を覗く。小さな影が震えていた。
毛の長い黒いコートを羽織った5歳くらいの少女だ。
少女が言った。「す、すわってぃんぐか!」
鉄仮面を横に振る。「魅々子です。あなたがクランプスさんですね?」

「煽りすぎてサツでもけしかけられたんかと思ったぞ」
「警察はマヒしてますよ」
「なんでじゃ。あっ!お主、見た目に合わずスマブラ上手いのぉ」
大乱闘スマッシュブラザーズは、杏子先輩と対戦済みだった。先輩のマルスは1ストックすら落とせない。それに比べれば、クランプスは敵ではなかった。
魅々子のドンキーコングが、サムスの復帰を阻止する。
「街は悪童だらけです」
「ほーん」
クランプスは、興味がないようだった。
サムスが、崖につかまる。
ドンキーが、崖攻撃読みの後ろ投げをする。サムスがまた追い込まれる。
「なんでわしの居所が分かったんじゃ」
「聴き込みです。悪童がネットでクランプスさんの住所を晒してましたよ」
「ゲェッ!くそガキどもが」
「やりすぎましたね。仕置きますか?」
クランプスは首を横にふる。
「わしを説得しようとしても無駄じゃ」
「あっ、スマッシュボールいただきです」
「なんじゃこのくそげー!終点でタイマンじゃ!」
それから何度か再戦した。結果は、魅々子8勝、クランプス2勝だった。わずかな2勝も魅々子の操作ミスから生じたものだった。
「くーちゃん、泣かないでください」
「来年で100じゃぞ、誰が泣くか!」
クランプスは背中を向け、毛布に転がっている。
突然、窓が割れた。拳大の石が床に転がる。
「煽り芸のクランプスー!エイムクソ雑魚ロリババアー!」
外から罵声が聞こえてきた。
クランプスが顔をだす。
魅々子は巨人の腕で揺さぶられたのかと思った。クローゼットにぶつけた頭をさする。
部屋は一変していた。窓枠は外れ、夜空が見える。
「くーちゃん」
「安心せい……」
寸前のところで屈んだのが幸いした。クランプスは落ちてきた家財で打撲しただけのようだった。
「奴らめ。ティーガーなんぞ持ちよって」
「なめんなよ!」
キャタピラ音を響かせながら、悪童は去った。
「ぶちのめしますか?」
「……あとで桃鉄で勝負じゃぞ」
「もちろん!」
クランプスは鎖をかつぐと、アパートの屋上まで登った。
建物の延焼は、イルミネーションじみていた。魅々子が目を凝らす。半透明の人影が飛んでいた。
「悪霊め、地獄から舐めプしてきよって」
煙草屋の奥、教会の尖塔には軍服の影がいた。フクロウのように微動だにしない。
「あれが親玉じゃな」
「誰です」
「決まっておる。ヒトラーじゃ」
魅々子は両手をあげてびっくりのポーズをとった。
「のんきにしとる場合か。やつが気づかぬうちに悪童をぶちのめして」
「くーちゃん!」
教会から影が消えていた。
夜空を熱と光が焦がす。
頭上の爆発を、クランプスの鎖が防いだ。
「上か!」
煙が晴れると、軍服の怪人がいた。黒いコートを肩にかけ、銀鷲の制帽の下、頭があるべき場所には砲塔がある。再び発射する。
「なめるなよ」
クランプスは一息にヒトラーの高さまで飛ぶ。
ヒトラーはすかさず迎撃する。クランプスの鎖は蛇のごとくしなり、火花を散らす。ヒトラーの投げ物が魅々子の足元に刺さった。それは大皿サイズの鉤十字手裏剣だった。
クランプスは弾幕をジグザグにくぐり、鎖をヒトラーに投げる。
「なんじゃと」
ヒトラーを鎖は通り抜け、背後の尖塔にぶつかった。
クランプスが外さない距離は、相手にも同じだった。
顔面が、クランプスをとらえる。
空が一瞬白くなる。
クランプスを魅々子は受け止めた。
至近距離で弾を受けた体は、治るまでに時間がかかりそうだった。
このまま戦うにしても、魅々子といえど空は飛べない。
なぜ、ヒトラーには攻撃が当たらないのか。
考えをめぐらせる暇はない。魅々子はクランプスを抱えながら走る。ヒトラーの偏差砲撃を避ける。
9番街を駆ける。がれきが降る。
「ぐっ」
魅々子の左腕に鋭い痛みが走った。手裏剣が掠めていた。左手を開いて握る。幸い骨にも腱にも異常はなかった。
お菓子屋さんが見えた。ヒトラーの砲撃をそらさなければ。店と逆の方向に体を切る。
「通せんぼだ!」
魅々子を悪童のティーガーが阻む。
砲撃が迫る。当たれば無傷ではすまない。だが、避ければ杏子先輩のシュトーレンが消えてしまう。4分の1秒が過ぎる。
魅々子の答えは、ヘディングだった。
砲弾は回転して飛ぶ。つまり面ではなく、点で弾に触れさえすれば弾道は容易に変えられる。
鉄仮面がわめく。ティーガーが燃えた。
魅々子がコートを脱ぎ捨てる。革のジャンプスーツが炎を反射した。
ヒトラーが手裏剣を撒くが、弾かれる。背後から守るように鎖がとぐろを巻いた。
クランプスが目を覚ます。
「くーちゃん」
「わしは頑丈じゃ。安心せい。それよりも......」
クランプスは魅々子の頭をなでる。
「戦って分かったぞ。やつも悪霊じゃ。物理攻撃が通らんのは当たり前じゃった」
「じゃあ魔法ですか?」
「ううむ」
物理ではない特殊な攻撃などあるだろうか。考えるうちにも、霊たちは包囲網を作っていく。魅々子は目をつぶる。これまでにヒントがあったはず。思考を巡らせる。
──あった。
魅々子が走りだす。
「くーちゃん、鎖借ります」
ヒトラーと応戦する鎖は、魅々子の右手に巻きついた。
左手には、鉤十字の手裏剣が握られている。
クランプスが不安げに見ていた。ヒトラーが砲塔を向けようとしている。
「やいやい小悪党ども、聴きやがれい」
魅々子が啖呵をきる。
鎖と手裏剣が、合体した。
先端に手裏剣のついた鎖は、魅々子を中心にヘリコプターのように回りだす。
手裏剣は空を切り、独特の音が響く。それは神のうなり声のようでもあった。
「死者を祓いたまえ」
ヒトラーが止まった。制服が崩れ落ちる。革の光沢が色あせ、タイムラプスのように劣化する。首をかきむしり、天に手を伸ばした。
砲塔に青い雷が落ちた。続いて雷は周囲の悪霊を飲み込む。ドレスデンが太鼓の中に放り込まれたようだ。
霊たちは跡形もなく消えていた。
「やりおった......。お主、魔人か?」
「いいえ、ただのうなり木ですよ」
魅々子は、お菓子屋さんで見たドキュメンタリーについて話した。
「コートジボワールのセヌフォ族は、死者を祓うために木の板のついた紐を振るんです」
「ほぇー」
「次はくーちゃんの出番ですよ」
「分かっとる!ほっぺをむにむにするな!」
クランプスは鎖をつかむと、屋根を飛び石にして消えた。ゲーマーより明らかに天職だ。
「さてと」
まだやることが残っていた。むしろここからが本番だ。
お菓子屋さんを訪ねる。
「魅々子です。シュトーレンを作りに来ました」


6時間ほどたってクランプスは帰ってきた。すっかり汗まみれだ。話を聞くと、公園で悪童を1500人ほどしばいたという。
「明日は筋肉痛じゃ......」
「お疲れ様です」クランプスに水を渡す。
「それから」
魅々子の手には、出来立てのシュトーレンがあった。
「一緒にたべませんか?」
お菓子屋さんも含めたお疲れ様会だった。机もぼろぼろで、窓ガラスは割れている。おまけに外では戦車が燃えている。
でも、シュトーレンの美味しさが忘れさせた。疲れた体にオレンジピールの甘味がしみる。お菓子には景色を変える魔法があるんだと魅々子は学んだ。
「ふぐっ......うぅ」
ヒトラーの話にさしかかったとき、クランプスが泣きはじめた。
「わし、こんなにお仕事をねぎらわれたのはじめてじゃ。100年間悪童をしばいてもみんな怖がるだけだった。毎年戒めても悪童は絶えんし、自分が何をしてるのかわからなくなってしもうた」
顔はくしゃくしゃになり、空のお皿にぽたぽたと涙が落ちる。
「みんなはわしを避ける。ひとりで毎日やまにいるのはいやじゃ」
お菓子屋さんは、クランプスにホットワインを渡す。
「あなたはシュトーレンの作り方はご存じですか」
クランプスは首を横に振る。
「じゃあ、うちで少し手伝っていただけませんか。生地をこねるのは一人ではどうも大変で」
「いいのか?」
クランプスは顔をふいてから、ホットワインを一息に飲む。
「仕方ないのう、ただ条件がある」
「なんでしょう」
「わしのゲーム相手をしてもらうぞ!」
お菓子屋さんは微笑む。
「ええ」
クランプスに友達ができた。


次の日、魅々子は杏子先輩の部屋に来ていた。クリスマスのお泊り会だ。
「シュトーレン、おっきくてわくわくするね」
杏子先輩の顔がほころぶ。全国の辞書は、【喜色満面】の欄にこの顔をのせるべきだと魅々子は思った。
「先輩は食いしん坊なので特注です」
「もう、ひどい」
「じひひ」
「実はね、今日は魅々子に渡したいものがあるんだ」
サプライズだった。
白い小包を受け取る。魅々子が目くばせすると、杏子先輩は頷いた。リボンをとる指が震える。手汗を一度拭いて、取り出した。
中身は、泡だて器のイラストのマグネットだった。
「いつも鉄仮面じゃない?だから付けてみたら可愛いかなって。お休みの日とか。二人で会うときにでもいいけど」
「ありがとうございます」
それ以上言葉が出なかった。もっと言葉を尽くしてお礼を言いたいのに。なんだか自分がクランプスさんのときみたいになりそうだ。
魅々子はマグネットを仮面につけた。
「どう、ですか?」
「かわいい」
先輩の言葉を聞くと落ち着かない。
魅々子はいつもの自分に戻ろうとする。
「ゲームでもやりましょう」
「いいよ。なにする?」
「桃鉄です」
魅々子は、シュトーレンを一気にかじった。
(おわり)

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