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お店の刀を飾らせて頂く【PART4】脇差「備州長船則光 享徳二年二月日」

お店の刀を製作した展示ケースに飾らせて頂く企画第4弾です!(第3弾はこちら
第3弾に続き今回も銀座長州屋さんより展示刀をご提供頂いています。
第4弾は室町期の刀工「備州長船則光」の脇差です!
約570年前の脇差(1尺ちょっとなので短刀にも見えますが)です。

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①備州長船則光について

則光といっても実は沢山います。
初代は1305年頃の短刀が存在していて長光門人と伝えられ、
二代は延文頃(1356~1361年頃)、三代は応永頃(1394~1428年頃)、
四代が永享頃(1429~1441年頃)とされています。
この脇差には享徳二年二月の年紀が入っているので、1454年頃の作であることが分かります。因みに特重指定の則光も享徳二年八月日の年紀で四代とされているようなので、この脇差も四代あたりなのかもしれません。

いずれにしても則光が最も活躍したのは俗名を五郎左衛門尉とする四代目の則光らしく、戦国時代にはこの四代則光の作を巡って戦が起こったという話もあるらしい。(出典:兵左衛門百観音堂
またこの四代則光は江戸時代前期に成立した「如手引抄」によると盛光の子とされています。
応永備前の康光とほぼ同年代で、祐光と共に「永享備前」と称されています。確かにこの脇差は盛光のような刃文にも見え、加えて棒映りが見られ、応永頃の脇差にも似てるように思えました。


②姿

康光とか盛光の短刀とはまた少し違う、先反りが少し強めに付いた体配。
南北朝から室町末期あたりによく見られる姿でしょうか。

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刃長:一尺一寸一分
反り:二分
元幅:九分三厘
重ね:二分二厘半

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樋は表裏とも区際で丸止めされてます。

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持った瞬間ずっしりとして健全に思えましたが、棟を見ると意外や意外、
ある程度減っていました。
もとはかなり重ねがあり重かったものと思われます。
とはいえここを隠して上を見ると健全な脇差に見えるから不思議。

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茎はうぶ姿で目釘孔が2つ埋められています。

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年紀もはっきり見えます。

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③刃文

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匂い口が締まると言うべきか、いわゆる助広のような刃から地にかけてグラデーションを伴ったような刃文を「柔」と表現するのであれば、こちらは真逆の「硬」を感じるような刃文に感じる。
盛光や祐定といった刀工の刃文に近い印象を個人的には受けました。
刃は明るい。

そして何といっても棒映りが鮮明で両面に現れている。
映り好きには堪らない。最高です。
個人的に応永備前あたりの作はとても好みなのでとても刺さる作風。

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④地鉄

板目に杢を交えて白く肌立っています。
一部大肌になっていたりなどといった箇所がなく、均一に肌模様が出ているので気持ちがいい。
肌立っている刀は表面がざらつき摩擦が少ないのでよく切れるという話は以前聞いた事があります。

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以下銀座長州屋さんのサイトに掲載されている画像の方が分かりやすいと思いますので転載。

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(画像出典:銀座長州屋 備州長舩則光 享徳二年二月日


⑤押形

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(画像出典:銀座長州屋 備州長舩則光 享徳二年二月日


⑥拵

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雲の表現がとても粋に感じる。
雲と言えば龍を想像する人も多いかもしれないですが、こちらの拵も、笄、目貫、小柄いずれも龍でデザインされています。
金具類は在銘で、石黒政明門人の一壽軒英明という人の赤銅地雲文図(赤銅を使った雲の図)の一作金具。

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(画像出典:銀座長州屋 備州長舩則光 享徳二年二月日


鞘は印籠刻み(一定の幅で鞘の表面に刻み模様を付けたもの)の錦包鞘。
鞘の文様は、錦を漆で再現したものです。
もう一度書きます。
錦を漆で再現したもの」です。

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つまりこの模様自体が漆で再現されています。
通常は例えば以下の太閤左文字の拵のように、本物の錦を巻いて表面を漆で塗り固める方法が一般的で作業的には簡単なはず。

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(画像出典:「筑前左文字の名刀」より)

にも関わらず、わざわざ漆でこれを再現したところに、塗師のやってやる感というか技量の高さを知らしめている感が感じられます。
もしくは錦を用いる事が出来たのは高貴な人だけだったので、敢えて漆で装飾を施した可能性もあるのかもしれません。
錦包はとても珍しく、近世の製作はあるものの幕政時代の作は殆ど無いようです。それだけ高貴なものだったのでしょう。

因みに鞘の反対面は糸で縫い合わせたようになっています。

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この糸も漆塗で再現されているわけですが、これは恐らく古い様式は糸で錦を縫い合わせ、糸が切れるのを防止するために、糸の表面を漆で保護したたためこのようなステッチ状になったものと思われているようです。
現在私達が見る多くはこういった錦の合わせ目を漆で固着したもの(以下のように)らしいですが、稀に縫い目が見られる作もあるとの事でこれは忘れないようにしたいとの事。

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(画像出典:銀座長州屋 花文総金具錦包鞘合口脇差拵


そして柄は革巻。

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雲龍図小柄、笄は岩間政盧門の岩間信盧の作。
艶やかでとても迫力があります。

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(画像出典:銀座長州屋 備州長舩則光 享徳二年二月日



⑦白鞘

本阿弥成善(琳雅)氏による鞘書がされています。
本姓は山本、養子として光意系本阿弥家16代を継ぎます。(因みに光意系本阿弥家17代は本阿弥日州)
1911年頃に琳雅(りんが)と改め、1927年に68歳で死去。
因みにこの方が凄い人なのかは分からない。

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⑧終わりに

元々私自身がこの時代の刀が好きという事もあり、映りも鮮明に立ち地鉄も面白く、とても好みなのですがやはりというかなかなかに良いお値段。
刀身も在銘で年紀入りながら拵も在銘の金具が付いた良さそうな物なのでそういった所もあるのでしょう。
こちらの則光は特別保存刀剣の鑑定書が付いていますが、重ねが厚く更に健全であれば重要刀剣になっていたのかもなぁなんて思ったりも。
分かりませんが。
拵も手が込んでいて特に見ていて面白かったです。

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という事で今回はこのあたりで。
このコラムですが、ここまで「現代刀→新々刀→新刀→古刀」と来ています。次回は更に古い時代の古刀を予定しています。
それではまた次回の更新をお楽しみに!

※注意
こちらの刀は執筆時点においてお店で販売されている刀になります。
ここに書いた内容は個人意見であり自身の刀歴からいっても刀の状態を的確に捉えられているわけではありません。
また購入を勧めるものではありません。刀を買う場合は必ずお店で現物を良く見てご自身で納得された上でご購入されてください。


今回も読んで下さりありがとうございました!
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それでは皆様良き御刀ライフを~!

第1弾~第3弾はこちらからご覧いただけます。

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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

プロフィール_1

「刀とくらす。」をコンセプトに刀を飾る展示ケースを製作販売してます。


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