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完璧を求めると名刀は手に入らない話

先日「大素人」という昔の刀剣書籍を読んでいたところ興味深いコラム「往時回想の記 文:三田彰久」を見つけた。

私は縁あって一度手にした国宝中務正宗を手離さざるを得ない仕儀になった事がある。
何故あのような得難い天下の名刀を手離したのかと詰問された薫山先生に対して、私は「物打の地に小さな鍛えわれのキズがありますので、つい気になりまして」と申し上げたところ、先生激語して曰く、「君はあの些細なキズが気になるのか、君は完全な人や、完全なモノを望むのか、もしそうなら、君の会社の人間は皆、茶坊主のようなつまらぬ人間ばかりになるぞ、完璧を望むなら、君は一生、名刀を手に入れることはあるまい。要は、人でも刀でも、許せるキズか、許せない本質的なキズかを見極めることだ」

人生に師は多いけれど、私はこの時の薫山先生のお言葉程、感銘を受けた事は後にも先にも一度もない。
私の一生のうちで、与えられた決定的な警策の一打であった。
(引用元:「大素人 4号 1979.1」より)

中務正宗は現在トーハクに所蔵されており、中務正宗という号は中務大輔を称した本田忠勝所持にちなみ、徳川家康が所持した事でも知られる。
物打ちあたりの小さな鍛え割れのような疵、というのは以下の写真でいえば切先したあたりの鎬筋あたりにある疵の事だろうか。

国宝 中務正宗
画像出典:「国宝8 工芸品Ⅲ 刀剣 毎日新聞社」より


この話は先日Xにも投稿したのだが、実はこの話にはまだ続きがある。

実はこの中務正宗を手離したのは、私が当時専務をしていた会社が倒産寸前の危機に陥り、昭和二十六年の年末も迫り、従業員に支給すべき餅代にも事欠く結果の、やむにやまれぬ窮余の処置であった。
それを正直に先生にうちあけ得なかったわたしの卑怯な言い訳であったのだが、かくして国宝中務正宗によって、従業員は越年出来、爾来私の胸中を察してくれた従業員の一致団結によって、見事に危機を突破出来たことを私は悦びとしている。

その後、縁あって、大銘兼氏の重文の一刀を手に入れることが出来、この刀を初めて眺めたとき、一見、正宗と見紛う出来映えに、中務を忍び、せめてこの正宗弟子といわれる兼氏の一刀をと求め得たのも、天の憐み給うところと感じている。

過日の奈良正倉会に、中務正宗に接したとき、全身の幾億の毛穴から熱汗が噴き出す想いであった。
前に書いた刀への恋は時に身心をやき尽す底の悦びを与えてくれるが、時には、灼熱した鉄棒の一撃に、刀に恋して一生を畢(おえ)るのを至福とするものである。
(引用元:「大素人 4号 1979.1」より)

つまり話を大まかにまとめると、会社を救うために止む無く中務正宗を手放す事になったが、それを刀の大先生とも言える本間薫山氏に素直に言うのは言い訳のような気がして、「つい小さな疵があったから手離したのだ」と咄嗟の理由を述べたところ激語された、という流れであろう。
しかし中務正宗を手放した事で会社は救われ、その後名刀を追い求めた結果、兼氏の名刀が手に入った。
しかし中務正宗を改めて見る機会があり、見てみるとやはり良くて良くて堪らない、なぜ手放してしまったのかという後悔の念を感じつつもそれがまた刀に恋しながら一生を終える至福の時でもあると感じた、という話である。

昔の方のこうしたコラムは心境を上手く表現する言葉運びも洒落ていて、非常に知的で実に美しさのようなものを感じる。

重要文化財 兼氏
(画像出典:「大素人 4号 1979.1」)


この方の話はここで終わるのだが、実は驚く事に、

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