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その瞬間の記録-22-07-12

刻々と1日が過ぎていく。
当たり前だけど、できなかったことを考えると少し寂しくもなるようなそんな毎日を送っているようにさえ感じる。

今は少しやってみたいことができた。
人生を大きく変えることになるかもしれなくて、少し来月がワクワクしている。

このnoteを1年後、5年後にみた時、自分がどんな反応をするのかは少し楽しみでありながらも振り返るのは少し恥ずかしいかもしれない。

今日の出来事だ。
何かと第0印象って強いな感じてしまうのだ。

第0印象とは、ステータスや見た目によるものである。
初めに言っておくと、これは当人からすると傍迷惑な話だ。

勝手に想像されて勝手に凹むのだから。
でも、少しおしゃべりをしたりすると印象がガラッと変わったりもする。

要するに第0印象より第一印象の大切さはすごいなと感じるのだ。

僕が少し苦手というとふんわり聞こえてしまうのだが、嫌いとは言いづらいのだが、挨拶ができない人は個人的に苦手だ。

人見知りと分かっている人でもコミュニケーションに難がある人だとしても、コミュニケーションを取りたいという意志はそこかしら伝わってくるものがあるように感じる。

しかし、目があって挨拶をしたにも関わらず、無視されるというのは何よりも辛い。

そんなことが職場であったというお話だ。
別に全員に好かれたいというわけでもなく、あくまで社交辞令として備えておくべきものだと感じるのだ。

その点、個人的な偏見によるものだが、アメリカ人は素敵に感じる。

彼らは、目が合うと大体の人が笑顔を向けてくれる。
人見知りというより、自分達をアピールしたい人が全体的に多いからだろうか。ニューヨークに行った時は色々な出来事があり、かなり警戒はしていたものの、とても居心地が良かったのは覚えている。

でも、挨拶ができない程度のことで別に怒りはしない。
少し嫌味的な意味に聞こえてしまうかもしれないけれど、相手にされていないのであれば、こちらも相手にしなければ良いだけの話なのだ。

今日のテーマでもある第0印象だが、逆のパターンもあるのだ。
無愛想だけど、喋ってみるとすごく親切な方だったこともある。

分かりきっていることは、会話をしてみないとその人の本質的な部分にはたどり着くことはできないということだ。

だから、相手にされないということは相手が何を考えているのかは分からないということだ。

こうなると、人の心が読めたら良いのにって思ってしまう部分はあるけれど、それができてしまうとコミュニケーションは不必要になってしまう。

その人たちの新たな一面を知れるのは、相手を知らないからであり、相手を知っていくと、その人の奥深さにはまるかもしれない。

だから、無愛想な人がいたとしても、喋りかけないということはあまりしない。だって結果はわからないから。

でもありがとうとかごめんなさいに対して何も返事ができない人というのは、少し嫌いだ。何回言うんだって話。。

これからもたくさんの人と話をしてたくさんの人の未知なる部分を知っていけるような人生を歩んでいきたいと思えた12日だった。

明日は休みなので、図書館という神秘的でありながら静寂の空間でお勉強や読書をしようと思う。

明日は雨が降りませんように。

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