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その瞬間の記録-22-07-24

今日は働いていたとしても定休日だ。

朝早くから起きてパンを焼き、アイスコーヒー飲み午前中からせっせかと活動していた。

だいぶと顔は元通りに近くなってきたけども、まだまだ内出血がひどく、皮膚の感覚が戻らない。

でも日に日に良くなってるような感覚もあって、治っていっているんだなとも思っている。

今日は、「才」について考えた日だった。

この言葉がつく熟語は大概の場合、大幅にすごい言葉なことが多い。

天才、異才、偉才などなど…

もちろん凡才や非才などマイナスな意味もあるのはある。

今日はその中でも「天才」に触れたい。

僕の人生の中で正直にこの人天才だなって思ったことはたぶんない。

自分を過信しているわけでは決してなくて、天才という才能を目の当たりにしている回数がやっぱり少ない。

人間はどのような時に天才って言葉を使うんだろうか。

僕はあまりポジティブに考えるのが得意なようで苦手なので、マイナスに考えちゃうけれど、やっぱり自分ができていないことをそつなくこなす人は天才に見えるのだろうか。

そういう点で言うと、僕の周りは天才だらけになるだろう。
自分にできることはほとんどないのだから。

誰かより劣っている。というサインに関してはかなり敏感な自信がある。誇れることではない。

だからこそこれならできるというのも正直はっきりしているのも事実。

僕が周りからここが天才だよねって言われたい部分はある。

それは、「人に優しくすること」だ。

なぜか分からないけれど、僕の親戚や従兄弟、おばさんはみんな僕のことをすごく気遣ってくれる。

そして、みんな僕の将来を考えてくれる。
これはある意味、心配されるほど僕が未熟であるという意味でもあると思ってる。

でも、素直にこのように心配されたり、こんな仕事が向いてるんじゃないかなって色んな人から言われることは別に悪いことじゃなくて、むしろ良いことだと思ってる。

そして、なぜかみんな同じ意見になる。

「人に優しい」から「人のために働ける仕事」をみんな薦めてくる。

僕自身、人が好きだ。
例え、どんな人であっても興味はあるし、笑顔を見ただけで元気をもらえちゃう。

そんな人達が辛いなら助けてあげたいとも思う。
これは自分に力がないとできないことだけどね。

なにせ今は将来に向かって勉強してる中で新しいことを知る喜びを学んでる。

一人で、「へ〜」とか、「ふーん」とか言いながら戦ってる。この日々が何気に好きなのだ。

前にも言ったけど、自分に向いてる仕事なんて自分には分かんない。
でも、自分を知ってる人は自分のことをよく理解してくれているとは思う。

そんな人たちの声が力になって今の僕を突き動かしてる気がする。

期待に応えるじゃなくて、自分らしさを貫こう。

Be Myself

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