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終わり、始まる。(2)

だいぶ時間が空いてしまいましたが、前回に続きわたしのキャリア物語を書いていこうと思います。

内定後のアルバイト時代

無事内定をいただいたのが2017年7月。
それから正社員としての入社までA社でアルバイトとして働きました。この時代は無知な学生らしくキラキラ希望に満ちていたと思います。提案や気づきをどんどん発信して社長から評価してもらったりも。

今思えば、上からの圧もさほどないバイトの身分だったから色々言い易かったんだろうな(笑)まさに「言うが易し、行うは難し」です。

それとここだけの話、この時代がブランドとしてピークだったと感じています。一番時計が売れるクリスマス時期なんて、店頭のスタッフが人に埋もれて見えないほどで。

だからこの時一緒だったスタッフとは、一体感があり今でも友達として関係を続けています。(ブランドには第2のピークがくるといいな、、、)

いよいよ正社員としてキャリアをスタート

2018年4月。大学を卒業して、いよいよ正社員として働きます。
最初に配属されたのは“WEB事業部”。オンラインショップ運営の部署でした。チーム構成は3人。30~40代の中途の中に、新卒として飛び込むことになりました。

無論、ベンチャーなので教育という教育はほとんどなく、やりながら学んでいく形式。Excelの使い方もままならないから、データの処理も紙にメモした内容をExcelに打ち込んでいくといったような、大変アナログな作業をして時間をロスしたりしていました。大変だったー。

そしてあの頃は何も知らなかったなあ。そのくせ、世の中を見透かしたような顔をして相当生意気だったと思う。なぜ生意気だったかというと、学生時代に出会った大人に良くも悪くも影響されていたからだと分析しています。その大人たちの言うこと以外は尊敬できない病になってしまっていた。

だから私より後に入社してきた中途の社員に陰湿な態度をとってしまったり、本当にダメでしたね。仕事のことを何もわかっていない!反省しました。

そもそも会社で何をやりたかったのか

ここで一度原点に立ち返って、入社して何をやりたかったのか、ということをお話ししたいと思います。これが現在につながっているので。

——どんな志望動機だったのか。

前回も述べたと思いますが、学生時代は観光を学んでいました。観光から興味は伝統文化に移り、日本のものづくりに惹かれました。その当時インバウンド観光が右肩上がりの時期で、「メイドインジャパンを海外へ伝えたい」このような考えが、A社の方針と合っていたので入社を志望したのでした。

——何をやりたかったのか

メイドインジャパンを海外へ伝えたいという想いから、宣伝・PR分野に携わりたいと考えていてESの志望動機にも記していました。実際のESには、『ブランド紹介のツールを制作して、日本や海外の人へ伝えたい』等と書かれていたような。これからやりたいことについては後々記していきますが、この時から方向性はあまりブレていないのです。この芯が通っていたという事実が自信になって、今の私の支えになっています。

まとめると、①大学4年の頃、私は“ブランドを世界に発信したかった”。
そして②それを実現するために、”宣伝やPR分野に携わりたかった”。
これが会社でやりたいことだったんです。改めて見ると“世界に発信”なんて、学生らしい壮大な野望でしたが(笑)

1年で異動。進みたい道への1歩を踏む

では、次。
WEB事業部でECの受注から出荷、販促まで一通り経験しながら1年が過ぎました。2019年春、社長から急にお呼び出しが。聞くと人事異動の提案。しかもやりたかった“宣伝・販促”チームへ。

私は迷うことなく異動を引き受けました。面接時に伝えた動機を覚えてくれていたことに本当にうれしくなりました。(社長の傲慢さには散々苦しんできたけど、人を見てくれていることに温かみを感じる、有難いこと。)

宣伝販促チームでは、広報のことを全般、私はSNS運営を重点的に担当しました。異動したての頃は、撮影にに立会うのが楽しくて楽しくて。テレビで見たことのある風景に目を輝かせていました。

業務内容の主な詳細としては、SNS用の素材作成、投稿、プレスリリース作成、メディア対応(時にはキャラバンも)、新商品のクリエイティブ準備…等広く対応していた感じです。

花形の仕事ばかりで綺麗に見えるかもしれませんが、タスクがこなしきれないという根本的な壁にぶち当たりました。当たり前といえば当たり前。だって2年目ですもの。ただそんなこと言ってられないのがベンチャーなので、もう、進め方わからない・社長提案が通らない・提案の修正の仕方がわからない・雑務も色々ある…でオーバーヒート状態。

それが年末まで続き、やっと迎えた正月休み初日は理由もなく大泣きしたな。心身ともに消耗してしまっていました。これも辞めた理由の一つではあるのですが…基本的には“前向きな理由”での退職ですよ。(前向きな退職なら良いって、皆狂ったように言うよね。なんなのあれ。ということも論じたい笑)

ともあれ、この宣伝販促での1年が、いろんな新しい出会いをもたらしてくれたし、今の基盤になっているのは間違いありません。会社には心から感謝しています!

わ~~、そろそろ長くなってきたので、続きは次回。

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