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乞う。を考ふ☆地下街の洋服屋の前で

コム活中、あまりの暑さで朦朧としてしゃがみ込んでいたら、目の前の偈箱にチャリンと入れてくれた人がいた。

後ろ姿は、見るからに日本人ではない海外の人。

しゃがんでいるだけでくれたということは…、

改めて自分の姿を見てみるに、完全にボロをまとった乞う人。

夏仕様の虚無僧スタイルは、上着はかなり使用感のあるインド綿の黒の羽織のようなもの。パンツはもんぺ型で作った黒パンツ。黒布が足りなかったため二色使い。自分ではお洒落のつもりがパッと見、継ぎに見える。それに地下足袋。
これに菰があれば完璧だ。

虚無僧スタイルは気楽だ。いつも同じで良い。ちょっと異質でも虚無僧だから別に良い。靴だけ変、とかではなく、全体的に変なので、気にならない。(自己判断)


私は市販品の服は買わないと数年前に決めた。一度だけ泊まり込みでの仕事で洗濯が出来ない理由がありリサイクルショップで400円のTシャツをやむを得ず買ったが、あとは靴下さえも買っていない。
ただし貰うのはOK。

何処かに勤めている人には心当たりはあるとは思うが、通勤用の当たり障りのないシャツ、パンツ、靴下、諸々、洗濯しなくても半月は持つくらい箪笥や引き出しの中に入っているのではないだろうか。
人目もあるし、それなりに流行から外れていない洋服を(特に女性に多いかも知れないが)買い続けなければいけない、そんな雰囲気がほとほと嫌になった。もう、大量生産大量消費の消費社会に加担したくないし、搾取にも加担したくないのだ。だから、自分で作るなり、直すなりして何とか買わない方向で行くことにした。幸運なことに私の母親は縫製の仕事をしていて家にはミシン部屋なるものがあった。こどもの頃からミシンを使って遊んでいたので簡単なものは作れる。買った生地、貰った洋服もあるし、ほどいた着物の生地も沢山ある。


その考えに至ったのは、

随分前、とあるデパートの服売り場のフロアを歩いていた時、客など殆どいないのに一面に並べられている大量の洋服を見て、

一体これらの服は全部売れるのか?
誰かに必要とされているのか?

とショックを覚えた。
モノに囲まれた気持ち悪さを感じた。



そして、2013年に作られた映画 "The True Cost" が極めつけであった。

ファストファッションの裏側では…!映画『ザ・トゥルー・コスト ~ファストファッション 真の代償~』予告編↓



経済というのもの上に成り立っている現代に生きている限り、どうしたって現金が必要であるし、それによって価値が認められている。人は作り続けなければいけないし、売り続けなければいけないらしい。
この世を変えることは私には不可能である。出来るだけ地球に負担を与えない方法で、自分自身が納得して生きるには、まずは消費を減らすしかないのだ。

あるもので何とかする。
或いは、貰う。
或いは、作る。


ホントに人間は、体毛が退化してしまったとても残念な動物だ。最悪の進化をしてしまった。他の動物のように毛さえ生えていれば、地球の環境破壊はかなり抑えられたはずだ。

体毛さえ生えていれば…。


と、  
人間の進化を憂いつつ、


コム活中の暑さ凌ぎに、地下のデパート入口にある夏らしいきらびやかな洋服が並ぶ服屋の前から流れてくる冷房の冷気で、コムジョは涼んでいるのであった。

服屋さん生き返ったよ、ありがとうよ。





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