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【浮世絵と尺八】女虚無僧☆おその

歌舞伎の女虚無僧といえば、お園。
まさにコムジョ(虚無僧女子)代表格の人物だ。

怪力で武芸の達人であるお園。しかも身長は六尺(180センチ)と長身。

そんなお園の虚無僧っぷりを、物語を辿りながら浮世絵と共にご紹介していきたい。


父親の敵討ちの為に、虚無僧姿に身を隠し旅に出たヒロインお園。

物語、彦山権現誓助剣ひこさんごんげんちかいのすけだちに登場する。


あらすじは、歌舞伎演目案内HPを見ていただければ分かりやすい↓

https://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/1512/


最新歌舞伎大事典によると、

彦山権現誓助剣ひこさんごんげんちかいのすけだち
人形浄瑠璃。梅野下風・近松保蔵合作。時代物十一段。天明6年(1786年)大阪道頓堀東の芝居初演。剣客吉岡一味斎の仇京極内匠きょうごくたくみを、毛谷村の六助が助太刀して娘お園に討たせる仇討狂言の曲型。微塵弾正みじんだんじょうと変名した内匠が六助を騙して勝ちを譲らせる趣向が、元文2年の歌舞伎『敵討巌流島』からのものなので、六助を宮本武蔵に擬える見方もあるが、もとは『豊臣鎮西軍記』の一挿話を膨らませたものであり、朝鮮攻めの戦勝祈願から始まり、内匠を光秀の遺児としたことなどから、太閤記物の系統に属すると考えられる。初演は『妹背山』以来とされる大当たりを取り、翌天明七年に六助お園の夫婦が改名して朝鮮出兵に参戦する、朝鮮軍記物の『大功艶書合たいこうえんじょあわせ』が続編として書き下ろされた。現在上演されるのは、お園達の旅立ちを描いた五段目「一味斎屋敷」、内匠とお園が暗闇で立廻る通称「瓢簞棚」の七段目「栗栖野」、六助とお園が初めて出逢う九段目「六助住家」などだが、多くの場合は通称「毛谷村」の九段のみの上演となる。歌舞伎でも寛政2年(1790)大阪・中の芝居初演以来、「毛谷村」における朴訥な剣客の六助と、男勝りのお園という特異な組み合わせが好評で屈指の一幕物として多くの役者が手掛け、様々な型が残されている。六助では団扇太鼓で子供をあやしながらお園と対峙したり、騙されたと知って庭石を踏み込む所作などが見せ場で、お園は女武道を代表する大力ぶりで思わず臼を持ち上げたりする一方、六助と知って手甲の紐を口で解きながら二重を下りたりする仕草に、女らしい色気を漂わせる所が為所となる。
参考 古井戸秀夫「毛谷村ーお園と六助」『国立劇場第190回歌舞伎公演解説書』1994年

最新歌舞伎大事典



浮世絵に描かれるのは、通称「毛谷村」といわれる九段の場面。

お園の妹、お菊も敵討ちに出るのだが、返り討ちに合い、殺されてしまう。(須磨浦の段)

そのお菊の子、弥三松やそまつはのがれ、お園の許嫁の毛谷村の六助に拾われる。

この六助は、お園、お菊姉妹の父親である吉岡一味斎よしおかいちみさいに剣術を教わった弟子であった。

お園は、父親からいずれ六助と夫婦めおとになると聞かされていたが、京極内匠きょうごくたくみに闇討ちされて父親を殺されてしまい、その敵討ちの旅に出たのだ。


まずは、

六助と弥三松やそまつ

「毛谷村六助」

寺沢昌次画
立命館大学ARC所蔵

寺沢昌次 てらさわまさつぐは、江戸時代中期の浮世絵師。大坂の人。

優しそうな六助に甘えている弥三松といった感じです。


葛飾北広画
「市川蝦十郎 毛谷村六助」
1825年
ボストン美術館所蔵


こちらも六助の人の良さが滲み出ている。
顔、怖いけど。


葛飾北広ほっこうも大阪の浮世絵師。北斎の門人。


静かな山里の六助の住み家「毛谷村」は、九州彦山の麓にある村。現在の大分県中津市。中津市に「毛谷村六助資料館」があるそうです。


こちらはお園の妹、お菊とその息子弥三松。

『孝貞六助誓力働 前後編』
松甫齋眉山 著 ほか 
文政5 年(1822)
国立国会図書館所蔵


さて、ようやくコムジョ登場。

六助の家の庭先に、幼子の着物が干してあります。これは迷い子の目印。

歌川豊国画
「毛谷村六助 関三十郎」
「一味斎おその 瀬川菊之丞」
「一味斎孫弥三松 岩五郎」
立命館大学ARC所蔵

お園は、弥三松の着物を見て、六助をお菊の遺児をさらった山賊と早合点してしまいます。

歌舞伎大事典の解説にもあったように、六助とお園が対峙する見せ場。

尺八を振り上げていますが、その他の浮世絵では刀を振り上げている場面が多い。


歌川国貞画 
「毛谷村六助」「絹川弥三松」
「一味斎娘おその」
1851年
早稲田演劇博物館所蔵

斬り掛からんばかりのお園!
六助は太鼓のバチで対抗。



こちらは月岡芳年の毛谷村。

「皇国二十四功」

月岡芳年画
「皇国二十四功」「毛谷村の農六助」 
1887年
専修大学図書館所蔵

躍動感がすごい。



「大日本六十余州 豊後」

歌川国一画
「大日本六十余州 豊後」
「おその」「六助」
1861年
立命館大学ARC所蔵

枕屏風を突き出してる?


「歌舞伎座九月狂言」

歌川豊斎画
「歌舞伎座九月狂言」
「おその 尾上菊五郎」
東京都立図書館所蔵

今度は枕屏風を楯に。



復讐誓彦山かたきうちちかいのひこさん] 」

豊原国周画
「一味斉娘おその 坂東彦三郎」
「毛谷村六助 中村芝翫」
「京極内匠 市川左団次」
1873年
東京都立図書館所蔵

なぜか、お園の父の仇、京極内匠きょうごくたくみが門の向こうで見ている。




お次は上方の絵師、春好斎北洲しゅんこうさいほくしゅうのお園と六助。

「一世一代」

春好斎北洲画
「毛谷村六助 市川鰕十郎」
1825年
立命館大学ARC所蔵

初代市川鰕十郎いちかわえびじゅうろうの毛谷村六助。
六助、余裕です。笑

春好斎北洲しゅんこうさいほくしゅうとは、大阪の代表的な浮世絵師。上方で最大量の役者絵を残した絵師。



そして最後に、臼のそばで座り込んでいるお園。

六助が許嫁とわかるや急にしおらしくなってしまいます。恥ずかしさのあまり、タジタジとなり、あれこれ変な行動にでて、挙句の果てには臼を持ち上げてしまうという愛嬌をみせてくれます。

歌川国貞画
「毛谷村六助」
「一味斉娘おその」 
1853年
都立中央図書館所蔵


お園の虚無僧っぷりは如何でしたでしょうか。お園が、刀を振り上げている場面ばかりが続きましたが、最後にはお園の女性的な面が垣間見れました。絵師や時代によって様々な虚無僧お園が描かれていて見飽きません。
歌舞伎や文楽でも観てみたいですね!

 
実はその他まだまだ虚無僧姿のお園の浮世絵はあるので、また次回の続きといたしましょう。


参考文献
『最新歌舞伎大事典』
『歌舞伎の101演目解剖図鑑』
『歌舞伎登場人物事典』


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