鳴らない竹と鬼太郎と🎃変わってあげたい命
尺八にはよく鳴る竹と、全然鳴らない竹がある。
そもそも鳴らないのではなく、鳴らせないのでは?
という疑問は置いておいて...、
鳴らない竹は目一杯、息を吹き込んでも、全然大きな音が出ない。
それが、一時間も吹いていると、よく鳴る竹よりも全然よく鳴る竹に変わったりする。しかも良い音で。
これは私にだけあることかも知れないが、実際そうなのだ。
地無しだったりすると、竹の中がいくらか湿ってそれが漆の変わりになったりするからだろうか。
岐阜の師匠は、地無し尺八は遠くまで音が聞えると言っていた。
私は、八寸管に関しては師匠に譲ってもらった竹内史光作の八寸管を20年以上、ただそれだけを吹いている。尺八と言うのは一本あれば一生楽しめる、なんてリーズナブルで手間いらずな楽器なんだろうと思っていた。それに、曲数も少ない。
師匠がこうも言っていた。
「四曲吹ければ上手。六曲吹ければ名人」
民謡の人が聞いたらびっくりだろうと思う。
それが、数年前に谷派の人たちとの出会い、それがきっかけで色んな長さの尺八が私のところに舞い込んできた。その中に、この鳴らない竹があった。
この二尺管(見出し画像)、穴は節またぎであるし、歌口の部分に何も入っていない。
一体誰が作ったか不明な尺八であるが、それが良い音がするのだ。
1時間吹けばであるが。
辻立ちを始めた頃は、色んな長さの尺八で吹いてみたが、やはり音の高さ、重さ、大きさを考えるといつも吹いている八寸尺八がベストだ。直ぐに音が出て、ある程度高い音域が出せた方が騒音の中ではいい。
谷狂竹をはじめ高橋虚白師など、長くて重い尺八でよく虚無僧行脚したと思う。
江戸時代に今のプラスチック尺八やメタル尺八など軽くて丈夫な尺八が存在したら、虚無僧みんな飛びついたはずだ。
その鳴らない尺八で最近辻立ちしている。
理由は後ほど書くとして、
とある場所で、
一曲吹き終わり頭をあげたところ、とある男性が話しかけてきた。
向こうの方を指差し、ボクあの二階の橋のところから音が聞えたので何なのかと思って来てみたんです。とのこと。
駅のコンコースの中なので、目の前には人が行き交いすごい雑踏である。屋根になっているということもあるが、かなり遠くまで聞こえていたようだ。
よかったよかった。
師匠の言う、地無し尺八は遠くまで聞えるということが立証された。
ついでに、一体あなたは何者なのかという問いに、丁寧に答えさせてもらった。
また、とある日、
ハロウィン前の休日であった。
韓国での悲惨な事故。あまりにも可哀想でこれは祈るしかないと路上に出る。もう私は十分生きたので、できることなら命を変わってあげたいと切に思った。老後問題だとか更年期だとか五十肩だとか、この先ろくな未来じゃない。
そんな気持ちでとある駅前で辻立ちしていたら、
自転車に乗ってゲゲゲの鬼太郎のちゃんちゃんこを着た小さな男の子が、目の前で止まり私を凝視している。
かなり近い。
もしや霊気を感じたのか?
あまりにも凝視しているので、吹くのを止めて、「鬼太郎なの?」と話しかけてみたが、うんもすんもなくただまん丸な目で私を凝視している。
後ろにいる、それまた自転車に乗った彼のお父さんらしき人は、その子の肩をしきりに突っついているが、その子は動じない。どうも、なんて頭を下げたがそのお父さんのリアクションもない。
それなら吹きますか、と一番短い曲「呼び竹」を二回吹いてみる。
すると、その男の子は人差し指を一本立てて、私を凝視している。
ああ、もう一回ね。
もう一度吹く。
その男の子は小さく拍手をしてくれた。
その間、お父さんはずっと男の子の肩を突いている。鬼太郎のお父さん、目玉おやじのわりには無関心派らしい。何だかお父さんに悪い気がして、どうもどうもなんて頭を下げておしまいの雰囲気を作ってみたものの、彼は動かない。
仕方ないので吹き続けていたら、彼はしばらくして行ってしまった。
きっと、彼に鬼太郎ファミリーの誰かかと思われたのか。
彼のお父さんには完全にコスプレだと思われていたんだろう。
ともかくその男の子に霊気を感じてもらえて良かった。
その後、
今度は通りすがりのご婦人から、
「がんばってね」
と握手を求められた。
握手求められたのは、これも初めて。
若い命の冥福を祈りに来たのに、
「はい、がんばります」
と元気づけられたのでした。
さて、その二尺管を吹いているのは、
今週3日文化の日こんなイベントに参加させてもらうからだ。
平和のお祭り。
虚無僧さん出ますよ。
お近くの方は是非遊びにいらして下さいまし😊🙏
古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇