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人類愛と心理の探求。

世界には、実に沢山の尺八奏者や笛吹きがいて、今更ながら私は最近それをSNSで知る事になった。

それまで、私はそれらとは無縁な生活をしていたが、いよいよ虚無僧生活に突入するには仲間をつくらねばならぬと3年前にスマホを持って一念発起。Twitterを手始めに、Tumblrでブログ開始、noteも昨年始めたばかり。

とりわけ2年前くらいに始めたinstagramによって、世界中の尺八、笛吹き&日本好きの人々とつながる事になった。

Hi friend! なんて軽くメッセージをくれる人もいて、尺八関係の質問などをしてくる。一度きりの人も多いが、日本の文化についてのことなども聞いてきたりもする。例えば、日本人って名前に丁寧に「さん」つけるけど「おばさん」って「さん」が付くのに失礼なの?とか。笑 色々気づかせてくれる。

中には交流が長続きしている人もいて、例えばキューバだとか、コスタリカ、コロンビアなど中南米などの人が、親しみを込めてメッセージをくれる。

欧米においては80年代くらいから尺八愛好者は多いようだが、最近さらに尺八の人気が出てきたのは中国と南米のもよう。これは情報のグローバル化と、世界中まんべんなく人々の生活が豊かになってきたことが要因でしょうか。
逆に日本は、現在は高度成長期に比べると、貧困、少子化で尺八を吹く人が激減している。音楽、芸術は世活の余裕、豊かさ、そして国の安定が不可欠なんだと思う。

尺八奏者から製菅師も、そのうち日本よりも海外の方が増えていくのでしょう。


そんなこんなでSNSを覗き見している私は、つい最近までこのようにどの国の人ともつながる事ができている現代では、いくら国家同士で喧嘩をして戦争がはじまったとしても、兵士である一個人が今まで仲良く連絡を取り合っていた友人の国に、戦車で突進して、銃を向けたり、街に爆弾など落とせないと思っていた。これからは、個人を知る事によって、国対国ではなく、個人対個人のまた違った世界観になるのでは、と思っていた。


信じたくないけど、間違いだったようだ。
いわゆる、昔ながらの戦争がガンガン始められている今の状況を知る限り。


今まで兄弟親戚だった人々が住む国に侵攻し、無差別に殺人をしているのは、確かに今現在に生きている人間自身だという現状を見ると、SNSなど兄弟親戚以上に全く関係ないのか…。


とても悔しいのが、これだけ多くの武器を、どこの国も保有しているということ。


武器さえなければ…。


武器さえなければここまで酷い事にはならないだろうに。
人間って一体なにしてるんだろう。



インスタで知る事になるウクライナの尺八奏者の一人の男性は、ロシアの侵攻が始まったら、今のウクライナの現状を伝えてくれている。彼のストーリーズの投稿には、避難所の住所や電話番号などがアップされたり、今のウクライナの現状というか惨状がアップされたり、また銃を横に置き、尺八を吹いている自分自身の動画を載せていたりもした。

何とも、言いようが無い。
ただ無事である事を祈るのみだ…。

もちろん、ロシアの尺八奏者の人も何人かいて、あきらかに投稿に変化がある。
以前、連絡があった人からも跡絶えたし、自動翻訳では意味がよくわからない投稿になっていたりする。それが何を意味するかはこちらが勝手に想像するのみだ。
明らかに傷ついている投稿もある。

今、世界中から制裁を受けて、酷い目にあっているのも、普通のロシア市民であり、芸術家たちだ。
本当に気の毒に思う。



現代ロシアの作家、ミハイル・シーシキンの発表した文章を、奈倉有里さんがまた翻訳してくれました。前回に引き続き大変分かりやすい。

シーシキンはこれまで度々ウクライナとロシアの国家間対立について文章を発表してきたが、今回、2022年のウクライナ侵攻に際してメッセージを日本の読者のために寄せてくれた。それを訳出するとともに、関連するシーシキンの2つの文章(『すばる』集英社、2014年6月号、『新潮』新潮社、2015年8月号、いずれも奈倉有里訳)をあわせて、ここに掲載したい。


気の遠くなるような人類の歴史のなかで、いったい、「国を愛せ」という呼びかけの末に、どれほどの命が犠牲になっただろう。


今のロシアを見ていると、昔日本がアジア諸国に侵略した歴史にぴったり重なる。大東亜の平和の為と、大陸で何が行われているのか知らずに日本人が大勢送られた。勝手に侵略先で新しい国も作った。2千万人以上という他国の人を殺した。それに加え、戦争に異議を唱えた日本人も皆、日本人によって殺された。特攻隊の飛行機にむりやり乗せられた若者もいる。生きて帰るのが恥だった。

日本はこんな恐ろしい野蛮な国だったのだ。


日本の侵略戦争について、明治期の尺八奏者、宮川如山が漢詩に書いているのを神田可遊氏が自身の著書で紹介してくれている。


昭和十年(1935年)、鉄心先生の袈裟に「世界平和安知非声之所及乎」と(宮川如山は)書いた。「世界の平和は、安(いずく)んぞ知らん、此の声の及ぶ所に非(あら)ざるか」と読む。「安(いずく)んぞ知らん」は「ああ何ということだ」という絶望的な叫びである。満州事変以来、中国での戦争は泥沼化し、国際的批判が強まる中、国際連盟を脱退。日本国民はこれを熱狂的に支持した。ヨーロッパにはムッソリーニ、ヒトラーという独裁者が出現、世界大戦は眼前に迫っていた。にもかかわらず、尺八吹きのほとんどが時流迎合的であった時代に、平和の危機を自覚していた人間がいたということである。
戦争がようやく終わった昭和二十一年没。七十九歳。

神田可遊著『虚無僧と尺八筆記』


以前ブログにも書きました↓


今現在、他国の戦争には「反対」と一致団結できているかのような日本だが、自国の問題となるとどうだろう。


そして、日本兵として徴集され、シベリアで抑留された経験のある、大師匠、竹内史光師は自身のレコードの解説にこのように書いている。

古典尺八楽の次代への継承を願う私には、断じて戦争を許す事は出来ないのです。
ましてや核戦争による人類存亡の危機がさけばれ、然も世界各国(日本も含めて)政府による軍拡競争の続く、この危険な状態を黙って見過ごす事が出来ようか。
 (中略)
芸術というも音楽というも、いきつく所、つまりは、人類愛と真理の探究に他ならず、平和の運動もおなじです。私は平和の運動を通じてこそ、個人の人間性も芸術性もたかめられると思います。
 尺八専門家によらず、その道の専門家というものは、その使命として、その道の現在のみならず、将来の展望等についても、おもんばかるのが常であり、なお、窮極の目的については社会の発展と人類の幸福に寄与するという事ではないでしょうか。
私は尺八を通じて、命のあらんかぎり、平和の願いを込めながら、この目標をめざして進みたいと思います。


こちらにも以前詳しく書きました↓



昭和60年(1985年)に発行された、岐阜県関市の竹友会史、50年を記念して作られた冊子『思い出の記』のあとがきには、こう記されている。

『この記事を書いていて、どうしようもなく、戦争に対する憤りが腹の底からこみ上げて来るのを禁じ得なかった。平和を守る為、核戦争を防ぐため、核廃絶の日迄ドーシても頑張らなければと、改めて決意を固めた』


核…。

これぞ、最強最悪の無駄というやつだ。


こんなに沢山の国が、核を持っていて何か抑止力にでもなるのか?
しかも被害は全世界に及ぶ。

核に言及したプーチンを欧米の代表者達は、声を揃えて非難したが、さて核を持っているあなた方も同じ穴のむじなではないか。
彼と同じ事をする為に持っているのではないのか。



「反戦こそ、本当に故郷を愛すること」


これはロシアの作家ミハイル・シーシキン氏が言った言葉。


いざ戦争が起きてしまったら、あっけなく人は死んでしまう。そしてその地の文化が消滅してしまうのだ。

この世に伝承されるはずであった古くから伝わる曲も、そこで途切れ幻の曲となってしまう。


史光師は言う。

平和の運動を通じてこそ、個人の人間性も芸術性もたかめられる。


平和運動によって人間性とセンスがアップ!(簡単に言うと)



私も平和を守る為、核戦争を防ぐため、核廃絶の日迄ドーシても頑張らなければいけない。

と、思うのでした。


一刻も早く、1分1秒でも早く!

ウクライナの戦争が終わる事を祈るばかり🙏



古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇