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【サスペンス小説】その男はサイコパス 第20話


「そんなわけだ。残念だったな、これからデートだったのに」

 今、知也は吉祥寺駅のホームにいた。警察からの連絡を電車の中で受け、ホームに降りてから折り返しの電話をしたところだ。

 水樹と二人して、今から例の高級住宅街近くの警察署に行かなければならない。警察からの要請の件で、知也はまた水樹にメッセージを入れていた。

「デート?」

「お互い彼女のいない身だからな」

「でも、そうしたのに偏見はないつもりだけど、お前のことは友人としてしか見られないし」

「冗談だって」

 水樹に冗談が通じないのには慣れていた。文字だけのやり取りならなおさらだ。

 メッセージアプリの向こう側で、水樹の呆れたため息が聞こえる気がした。

「お前な、こんな時によくそんな冗談が言えるな」

「別に俺たちに疑いが掛かってるわけじゃない。捜査に協力するだけだ。爺さんの身の安全のためでもある」

「それはそうだけど、お前は不安にならないのか?」

「ならない」

 ならないよ、水樹。お前はそれを知っているだろう?

「井の頭線で渋谷まで、それから東急東横線乗り換えだな。井の頭線ホームの真ん中あたりで待ってるよ。俺はグレーのサマースーツで首に紺色の手ぬぐいを巻いている」

「分かった。一緒に行こう。少しは不安が紛れる」

 今度は水樹からメッセージアプリを切った。きっと不安が大きいのだろうと知也は思った。



「高城(たかしろ)やよいは吐いたが、高木さんを殺したのは自分ではないと言っている」

 知也に謝罪文を書くように言ったベテラン刑事が言った。知也を怪しんでいる素振りはない。しかし、と知也は思う。内心に隠した異常心理を知られれば、どうなるかは分からない。

「そうですか」

 当たり障りのない応答。自分の推理を述べたりもしない。

 犯人は高城やよいの他にもう一人いて、高木さんを刺した後に二階に上がって、俺たちが庭に出たのを見て窓ガラスを割って脅し、傷つけ足止めしようとした。そうではないでしょうか? などとは。

 なぜ二階に上がったのかは分からないが、そう考えると筋は通る。本当に高城やよいが殺していないのであれば。だとすると、もう一人の犯人との関係は何だろうか? 全く関わりのないのに、偶然同じ日に侵入したと考えるのも不自然だ。

 ベテラン刑事は続けて言った。

「それで第一発見者の君の話をもっとよく聞きたいと、そう思ってね。高木さんが包丁で刺されていた時の状況を、思い出せる限りは話して欲しいんだ」

 その時の記憶は未だに鮮明だった。敵を知るために詳細に観察して、自分が為すべき事を冷静に考えた。当時の思いとこの目で見た光景がよみがえる。微塵も恐れはなく、事をしくじるのではないかとほんの少しの緊張だけはあった。

 だがそれを正直に言えばどうなるのか。異常心理の持ち主。サイコパス。正式な名称は、反社会性人格障害。その特質の中で、社会と自分自身にとって有益になり得る要素を強く持つ者。

 それが。俺だ。

 特定の状況において、人が当然感じるべき恐怖や悲しみを感じない。問題解決に関係のない、感傷的な共感を全くしない。それは社会動物である人間にとって、本来は厄介な異常心理でしかない。確かに、特定の緊急的・危機的な状況においては役に立つ。人の情を振り切り、冷徹に目的遂行を目指すのにも。

 でも生きるか死ぬかの毎日だった原始時代ならいざ知らず、現代日本において緊急的な状況なんて、普通の人の日常の中では滅多にない。それに日本では良くも悪くも、傑出した個人の決断力よりも人の和を重んじる傾向がある。一人でやるより皆で一緒に。それが日本の和だ。それは良い面ばかりでも悪い面ばかりでもない。

「ベテランの警察官であっても、不意にあのような状況に出くわして、詳しく冷静にその時の状態を述べられるくらい、思い出せる者はそうそういない。いやはや、とても民間人とは思えないくらいだね」

「そうですか。俺を疑っていますか?」

「いやいや、君にはなんの動機もない。指紋も出てこない。傷はさほど深くなく、君の力ならもっと強く刺せたはずと考えられる。高木さんの死はショックと出血によるものだ。刺し傷自体は致命傷ではなかった」

「こうした言い方は語弊があるでしょうが、よかったです」

「動機がなく、アリバイがあるからね。あの短時間で刺して戻るのは難しいよ。しかも冷静さを完全に保っていた。そんなことは普通は出来ない」

 それに、急いで殺すなら、深く強く刺さなければ理屈に合わないはずだ。そうも思ったがあえて口には出さない。

 短時間で刺して戻るのは難しい、か。不可能ではないわけだな。それに、俺は『普通』ではない。

 どうなるのだろう? もしも普通でないことがバレたら?

「ま、君も、背中から刺された死体か、かなりの重傷者を見たばかりの割には信じられないほど落ち着いていたそうだがね。時道さんは驚いていたよ」

 ああ、そうか。それもそうだろうな。爺さんの方は、知らないから。

「助かりたかったし、水樹を助けたかったので。悪いですが、高木さんにはあまりかまっていられなかったんです」

「それは仕方がないね」

 ベテラン刑事は、信じてはいない風だった。
 感づかれたのだろうか。刑事なら、俺のお仲間がそれなりにいても不思議はない。それでも数は多くはないだろう。

 サイコパス、つまり反社会性人格障害は男性なら全人口の約3パーセントほどだとされる。女性は男性より少なく1パーセント程度。どの道多数派ではない。俺は少数派で、異常者なのだ。

「君が見つけた時には、高木さんはまだ生きていた」

 ベテラン刑事の静かな、意味有りげな物言い。

 あの時。応急手当をしていれば高木は助かったのかも知れないわけだ。そう思っても特に感慨はない。

「そうですか。助けられなくて残念です」

 嘘である。残念とは思っていない。彼女を助けられるならそうしたかった。人の死を楽しむ趣味もない。でも残念とは思えない。俺はやれるだけのことをした。刺した奴が悪いのだ。俺には何の責任もない。知也は言い訳ではなく事実としてそう考えていた。あの時と変わらず冷静だった。

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