復讐の女神ネフィアル【裁きには代償が必要だ】第7作目『聖なる神殿の闇の間の奥』第10話
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アルトゥールは、すぐには庭に出なかった。扉の影からハイランの様子を見張る。庭は荒れ果て、草が腰の高さまで茂っているが、見通しは利く。門までハイランが歩いてゆくのが見えた。
ハイランは門を開けた。大きく開け放ったわけてはないので、アルトゥールの位置からは馬車も御者も、令嬢の姿も見えない。頑丈な板状の木の門の影に隠れているようだ。
ハイランの姿も門の影に消えた。話し声が聞こえる。アルトゥールは近寄っていった。背後から二人の足音がした。リーシアンとジュリアの、だろう。他にはいないはずだ。
意外にもハイランは背後に気を使っていなかった。 アルトゥールたちが近寄っていっても、振り返りもしない。
アルトゥールはメイスを握り締める。かまえはしないで、腰に下げたままに柄に手をやった。
「何でご令嬢自らこんなところに来たんだ?」
リーシアンの声がすぐ後ろから聞こえた。
「確かに。ここに来るのは危険かも知れないし、『標的』の始末なんてハイランに任せておけばいいはずだ」
別にやんごとなき高貴の身ではなくとも、わざわざ現場に来たりはしないものだ。事が済んだなら神官から報告を受ける。女神が、それを事実と証明してくれる。
三人で門までの前に立った。ハイランの後ろ姿が見えた。その向こうに令嬢らしき若い女の姿も見えた。赤い髪のなかなかの美女だが、何かの病を患っているかのように生気がない。
かたわらに、ハイランと変わらないくらいの歳と思える男が立っている。赤い髪の女を守るように寄り添う。美女と男の後ろに馬車がある。貴族が乗る馬車にしては簡素な造りに見えた。
「まあ貧乏貴族ってこともあるか」
内心で口には出さずにつぶやく。門を大きく開けて、子爵令嬢と呼ばれる女の前に姿を見せた。
ラモーナ子爵令嬢とハイランが呼んでいた女は、視線をアルトゥールの方に向けた。おどおどして怯えているようだ。およそ、丁重に扱われることに慣れた貴族の娘の態度とは思えなかった。
女は、髪の色に合った赤いワイン色のドレスを着ていた。夜会に行くような華やかなものではなく、レースも刺繍もないが、たっぷりと布を使った、ふわりとした優雅なドレスだ。スカートの襞(ひだ)が豊かにゆるやかに広がり、令嬢の腰から下を覆っていた。
ドレスは赤い。その上から、黒い地味なコートを羽織っている。コートはドレスよりも丈が短く、足元にはコートの色に合わせた黒革の簡素なブーツが見えた。
赤毛のまま髪を染めないのは、貴族には珍しい。アルトゥールは、臆病な小動物のような女の様子に似つかわしくないと思った。人目も気にせず、赤い髪の色をさらしておくとは思えない。
女はアルトゥールを怯えたように見た。しかし何も言おうとはしない。ハイランはこの時初めて背後を振り返った。アルトゥールと、あとの二人を目に留める。
「令嬢には近づかないでもらいたい」
その眼差しと声音には、明らかな威嚇の色がある。
「近づきませんよ」
へえ、ここで見ているだけならいいのか? そうは問わなかった。ハイランにだけなら軽口を叩いてやっただろう。弱々しげな令嬢の身を、いくらかは気遣う必要を感じていた。
リーシアンも同じように思ったらしく、何も言わずにそのまま立っていた。
ジュリアは心配そうに令嬢を見ていた。
「あの、『癒やし』を」
そう言い掛けてやめた。神技はハイランも使えるだろう。ジュリアにも分かっているはずだ。
「今は手を出さない方がいい」
ジュリアは返事をしなかった。
ラモーナ子爵令嬢はジュリアにも目を留めた。表情が和らぐ。ほっとしたように全身の緊張をゆるめているのが見て取れる。
ジュリアという名は、その信じる神から名を取って名付けられた。ジュリアン神官なのは、衣服を見れば明らかだ。にも関わらず。
「ハイランはああ言ったが、少なくともラモーナ子爵令嬢には、君は嫌われてはいないようだ」
これは面白くなってきたな。不謹慎にもアルトゥールはそう思った。ラモーナのことも彼女が味わったのであろう苦痛も軽んじてはいない。しかし、ハイランへの反発が大きいため、そのように事態を面白がってしまうのだった。
「その令嬢を聖女に任せたらどうです? 大丈夫ですよ。ジュリアなら、人を憎み、赦せない痛みにも寄り添ってくれます。馬鹿なジュリアン神官どもとは違う」
ジュリアには手を出さない方がいいと言っておきながら、アルトゥール自身はハイランの背にそう声を投げ掛けずにはいられなかった。それは単なるハイランへの嫌がらせではない。実際に、ジュリアに任せた方がましだと思っていた。
「違うな。愚かなジュリアン神官など、もはやどうでもいいのだ」
それで、若いネフィアル神官にはすぐに理解出来た。
単純な悪より、もう一つの善あるいは正義となる存在の方が、ある意味でより厄介な敵となり得るのだと。
多くのジュリアン信徒にとってのアルトゥールの存在がそうなのであり、またハイランからすればジュリアがそれに当たるのだと、そう理解したのだった。
続く
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