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【クリエイティブ生活】サイコパス主人公の小説を書く理由【創作活動】

 元々サイコパスに関心を持ったのは、メンタリストのDaigo氏の動画からでした。次に、Twitterである作家さんが、サイコパスが特定の職業に多いと話されていて、そこから連想を広げて有料小説化したわけです。

 主人公にも言わせた通り、『長所と短所は背中合わせ』だと前々から思っていたのが立証されたとも感じていました。(このセリフは主人公の知人についてで、主人公自身のサイコパシースペクトラムについて言ったのではないですが)

 『サイコパス』は学術的に正確な名称ではなく、本当はもっと違う言い方があるそうです。それはともかく、サイコパスと言えば冷酷非情だったり残忍な犯罪者のイメージで、そうでないとしても極めて利己的で危険な人間、そんな話が主に知られていると思います。 

 弁護士や大企業のCEO、マスメディアにもサイコパスが多いと言うけれど、犯罪者ではないだけで、さぞかしえげつないカネと権力の亡者なんでしょうね? そんな風に受けとめられているのが大半ではないかな? と思います。

 確かに共感能力や人の気持ちへのいたわりは大事で、大犯罪者がしでかしたことを読むと私もドン引きなのではありますし、ステレオタイプな金銭欲や成功欲の亡者も、出来れば避けて通りたいです。

 だけど常に相手の心情に寄り添うのが善でもないなと、特に最近は思うようになりました。

 サイコパスは罪悪感を感じないと言われますが、一方でカバードアグレッション、つまり受動攻撃といって、直接的に脅したり暴言を吐いたりするのではなく、相手の罪悪感を刺激して、弱者や被害者ぶって攻撃したり操ろうとする人もいます。サイコパスにもそうしたタイプはいるかも知れませんが、私が見た範囲では、どちらかと言うと繊細で優しげな人が『やむにやまれず?』そうする場合が多いようです。

 つまり直接的な攻撃どころか、適切な自己主張すら出来ないので、そうした人が自分の心身を守るには、間接的なやり方しかないわけですね。

 そんなわけで、受動攻撃をする人にも、そうするだけの理由はあるのですが、だからといってそれに屈するのが善とも思いやりとも思えないのです。このあたりは人により感じ方も違います。

「それくらいで罪悪感を植え付けられたとか思わないで、適度に『分かるよ、君の気持ちも』と言って寄り添ってあげればいいじゃない」と思う人も多いと思います。

 けれどそれで際限なく相手が同意だけを求める場合、それにより自分のするべきこと・したいことも妨げられる場合に、相手の気持ちを少なくとも一時的には傷つけてでも、自分を通すのは悪いことではないとも思うのです。

 しかし『寄り添ってあげればいい』『寄り添ってくれなくては嫌だ』と言う人たちの中にいると、自分を貫くには文字通り悪にでもなるしかないなと思わせられる時があります。

 クリエイターとして本格的に3年半ほどやってきて、よくほのめかされたのは「その表現は誤解を生む」「その作品は人を傷つける」でした。彼らは自分たちの陣営は正しいと思っているか、さもなくば絶対に人を傷つけない表現があるはずだと信じていました。一方で人から嫌われる表現が、もう一方では人を救う。そんなことは思いもよらない人たちでした。

 このサイコパスの物語も、何かしら人の気持ちを逆なでしてしまう可能性はあります。それでも私はやる、必ず世に出すのだと決意して、本日4話までを書き上げました。

 こんな経験や考えを発端として『その男はサイコパス』を私は書きました。

 4話目からは有料となりますが、関心を持たれたら読んでいただければ幸いです。

こちらはその有料小説のマガジンです。





















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