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【サスペンス小説】その男はサイコパス 第2話

マガジンにまとめてあります。


 知也の表立っての職業は私立探偵──ではなく行政書士である。合格率ほぼ1割の国家資格で、いわゆる士業と呼ばれる肩書の一つだ。比較的大手の法律事務所に所属し、法律に関わる書類作成とチェックが主な業務であった。それはあくまで表立っての職であるが。
 
 SA──スペシャルアンサーの記号が付いたレターカードが知也の机の上に回ってくると本当の業務の始まりである。事務所の他のメンバーには、ただ依頼人のための職務を果たしに行ったのだとしか知らされてはいない。
 実のところ、こうした士業は職務関連の相談相手になるのはもちろん、話し相手でもあり、時にはある種のカウンセリング的な役目すらやらねばならぬ時がある。法律の問題も、ただロジカルに法の文面を字義通りに追っていればいいわけではないのだ。

「水樹は俺より優秀な学生だった。成績優秀で真面目で。そう、真面目だ。時に融通が利かないと思えるほどに。実際の法律の仕事には就けなかった。勉強はともかく仕事は、法律の条文を読むように、言葉を字義通りに受け止め言い放つのでは成り立たないからだ」
 知也は言った。

「でも彼は大学在学中に司法試験に合格して弁護士の資格を取ったんだろう?」
 話しかけてきたのは先輩の南川だ。真っ直ぐな黒髪をきれいなボブカットにしている、黒いパンツスーツ姿。南川は30代半ばの女性で、友人と二人暮しをしている。うわさでは女性同士のカップルだと言われているが、真偽は定かではない。知也はとりたてて興味も持たなかった。

「ええ、それはすごいものでしたよ。もちろん真面目に勉強してもいましたが、それだけじゃない。地頭の良さに加えて、鍛えられた集中力の成果でした」

「なるほど、自閉症スペクトラムのこだわりの強さが良い方に出たんだな」

「はい、長所と短所は背中合わせであることが多いですからね」

 二人がいる法律事務所は、都心の高層ビルの23階ワンフロア全体だ。見晴らしは悪くはなかった。
 窓の近くに知也の机はある。窓のすぐ側の南川の席の右隣だ。事務所では広々とした机が貸し与えられ、机同士の間も空いている。南川と知也の机の間の床には、背の高い観葉植物の鉢が置かれていた。

 今は昼休憩が終わったばかりで、窓から入る日差しはまぶしい。夏の盛りだった。室内は空調が効いて快適だが、外は灼(や)けるような光と熱が降り注いでいる。
 そう言えば、と知也は思った。弁護士はサイコパスが多いことで知られる職業の一つだったな。
 俺は弁護士にはなれなかった。もう少し努力すればいけたのかも知れないが、その気にはならなかった。

「もったいないな。その水樹って子もうちに来ればいいのに。第一線の仕事でなくとも、他にやれることはあるよ」
 南川は言った。
「そうですね。でも奴は決してここには来ない。俺がいるのを知っていますからね」
「ケンカでもしたのか?」
「ええ。少し」
 もちろん、実際はそれどころではない。事実を口にする必要を知也は感じなかった。
 SA──スペシャルアンサーのメッセージカードが来たのは、それから一時間後だった。

 知也は現場に着いた。高級住宅街として有名な東京都内の一等地。目指す屋敷はここにある。豪邸ぞろいの中でも一際大きな建物だ。3階建ての、灰色がかって落ち着いた緑色の外壁。
 お手伝いの中年女性に、重い鉄格子の門を開けてもらって入ると、玄関までのレンガ造りの道と噴水が見えた。
 よく手入れされた広い庭。
 噴水には人魚と、トリートーンと呼ばれるギリシャ神話の海神の白い石像がある。

 知也はそれらの傍らを通り抜け、玄関ではなく裏手の掃き出し窓に向かう。そうするよう指示されていたからだ。
 掃き出し窓とは、天井近くから床まであり、人の出入りが可能な窓のことだが、今はその窓は開いていた。網戸と中のカーテンは閉まったまま。カーテンはクリーム色で、夏らしい涼やかな素材で出来ているようだった。
「ごめんください、失礼します。四ツ井法律事務所から参りました、行政書士の名尾町(なおまち)です」
 こうした時には、和やかで朗らかな若い男を演じる。

「どうぞ」
 奥からしわがれた老人の声がした。 
 知也はもう一度失礼しますと言った。黒の革靴を脱いで、掃き出し窓から室内に上がる。中はやや薄暗い。今は真夏の昼下がりだが、カーテンを閉め切っている上に他に明かりはないからだ。
「閉めてくれ」
 知也が入る時にわずかに開けたカーテンを指して老人は命じた。『言った』や『頼んだ』より、命じた、という表現が相応しい。しっかりした声だが老いは隠せていない。
 カーテンを元のように直すと、広い室内をそっと見渡した。濃褐色のフローリングの床には、麻を使ったラグマットが敷かれている。淡く明るいグレーの物だ。
 老人はラグマットの上に座っていた。座禅の足の組み方をしている。足首から下を、反対側の足の太ももの上に乗せたあぐらの形である。

「はじめまして、よろしくお願いいたします」
 言いながらそっとひざまずく。頭上から声を掛けるのはまずいが、さりとて勧められる前に座るのも少々不作法だ。だからひざまずくのを選んだ。
 窓は北向きだが、空調はなく室内は暑い。扇風機だけが風を送り続けている。風は知也のところまではほとんど届かない。
 今の知也は、実に礼儀正しい好青年に見えるよう振る舞っていた。こうした能力もサイコパスの特技の一つであることが多い。魅力的に、好感度高く装(よそお)うのが。
 誰でも多かれ少なかれ演技により人間関係を取り繕う。惜しむらくは知也の場合、長くはごまかせないのだった。真からの共感能力の乏しさは、上辺だけの仕事の付き合いでもやはりハンディにはなるのだ。
 
 この家が水樹の生家であるのを知也は知っていた。すでに家を出て独り立ちしている。税理士事務所の事務員。それが今の水樹の仕事だった。
「孫の水樹から君の話は聞いている」
「左様でございますか」
 知也はそれだけを口にした。別段、何の感慨もなかった。そうした感情を感じる『べき』だと言われたこともあるが、感じないものは仕方がない。そう考えている。しかし、振りくらいはするべきなのか。

「ご存知かとは思いますが、水樹君との間には少々トラブルがありました。にも関わらず、ここへお呼びいただき感謝します」
「別にかまわん。孫がそれくらいの人生の荒波、乗り越えんでどうするか」
 老人の声色も表情も、厳しさよりは冷淡さを見せつけていた。ひょっとして同類なんだろうかとも思うが、孫の水樹に対して隔意があれば常人でもこんな態度になるものかも知れない。
 どう返答していいのかは迷いどころだ。すぐに外面を取り繕って、静かに優しく語り掛ける。

「大丈夫ですよ。水樹君は、私よりもずっと優秀でしたから」
 それだけを口にした。それはお世辞ではなく事実ではある。『優秀』の基準をどこに置くかにもよるだろうが。
「同じ三橋大学の同輩として、君には一目置いておったよ、孫は」
 知也にはわずかに引っ掛かりのある言葉であった。
 『おったよ』過去形だな、と思う。今は違うのか、それとも単なる言葉の綾(あや)か。

「それはとてもありがたいことです」
 とても、ではないが一応ありがたいと思わなくもない。見下されるよりはましに決まっている。
「それで本日のご用件は──」
 遺言状の作成、と言いかけて老人に片手で遮(さえぎ)られた。まだ座るのを勧められない。座布団も出されない。どこにあるのかも分からない。水樹の母方の祖父自身は、上質そうな二枚重ねの座布団に座っていたが。
 こうした時にも「なぜですか?」と聞く権利はないのだろうか。
 知也は黙って床に座った。ただし、あぐらではなく正座だ。老人は何も言わなかった。

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