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ラブクラフト全集1より『インスマウスの影』感想

 創元推理文庫から出ているラブクラフト全集1の『インスマウスの影』を読了しました。

 ラブクラフトはクトゥルフ神話として今日(こんにち)知られるホラー小説の一連のシリーズを書いた作家です。

 これまでにご紹介してきた、『ゾティーク幻妖怪異譚』を書いたクラーク・アシュトン・スミスと同じ時代、同じ雑誌で活躍しました。

 クトゥルフ神話を使ったフィクションはたくさん作られていますが、今回はいよいよ原典にあたったわけです。

 この物語の主人公は、おそらくは悪落ちというやつで、しかもそれが避けられない運命だったのが判明する、衝撃のラストなのですが。

 衝撃は衝撃なのですが、ちょっと受けとめ方が作者の意図するところとは違いました。

 インスマウスの住人は、人類の敵には違いないのですが、俯瞰してみると人類も人類同士で争ってきた歴史があります。

 また、ラブクラフトの小説には、その時代を反映してか、欧米以外の文化への偏見が微妙に感じられます。端的に言うなら、非キリスト教文化を奇怪なものと見なしているのが伝わってくるわけです。

 そうした文脈で考えると、この物語の人類とは、イコールキリスト教文化の人間、それも白人であり、すると恐るべき敵側とされたインスマウス住人は何の比喩であるのか、考えてしまうわけですね。

 インスマウスは漁港のある街で、海産物で栄えた街とされています。インスマウスに来ると、魚臭い匂いがしているとあります。

 ラブクラフトはアメリカの作家ですが、アメリカではあまり魚をたくさん食べる習慣はなく、肉やミルクや乳製品を主に食べていたようです。

 したがって魚臭くなるほど海産物を取り食べるのは、それだけで当時のアメリカ人というか、少なくともラブクラフトにとっては完全なる異文化だったことでしょう。

 バブル期にアメリカに渡った日本人ビジネスマンの家族が、たくさん魚を食べるから魚臭い匂いがすると、近所のアメリカ人に言われたという話を思い出しました。

 魚をたくさん食べる文化は、日本人だけのものではないですが、中国の南方や東南アジア辺りでは、やはり魚介料理を食べることが多いと思います。

 インスマウス住人の描き方が、魚をたくさん食べる文化を持つ人々への偏見の表れとするのは、かなりうがった見方のように思われるかも知れません。

 しかし、ラブクラフトが当時のアメリカの基準でも差別的と言える考えを持っていたのは、概ね事実のようで、これをもってラブクラフトが嫌いだと公言しておられた日本の作家もいます。

 同時代の作家クラーク・アシュトン・スミスの『ゾティーク幻妖怪異譚』にも、単純に欧風世界とばかりは言えない異国情緒がありますが、嫌悪や見下しは感じられません。

 ラブクラフトは差別的な考えを持っていたのみならず、ある種の恐怖症を患っていて、異文化、つまり非キリスト教文化に属する人々にアメリカが支配されるのを恐れていたそうです。

 クトゥルフ神話を日本人があまり恐ろしいと思えないのは、日本人が多神教文化であり、唯一神以外の神がいる事への恐怖が理解出来ないからだと言われます。

 一理あるとは思うのですが、ラブクラフトの恐怖症は名作ホラーとして結実はしましたが、当時のスタンダードなキリスト教徒のアメリカ人の考えでもない気がします。
 
 スタンダードは、異教徒を改宗させて正しい教えに導く、だと思うのです。まあ、今でもこうした考えのアメリカ人はいます。私は現実に、米軍基地関係者の、そうした牧師さんに話を聞いたことがあります!

 唯一神の力にはいかなる悪も勝つことはできない。それが1930年当時も今も変わらないスタンダードなアメリカのキリスト教の考えです。

 ですから、キリスト教徒であればクトゥルフ神話の恐ろしさが分かるかというとそうでもなく、むしろ分かってしまったら神への信仰が足りないと見なされると思います。

 アメリカ流ポジティブシンキングの源流はこうしたところにあり、日本人がなかなか真似をしづらいのは、不安遺伝子のせいもあるのでしょうが、宗教的、文化的な影響もあると個人的には考えています。

 1970年代頃に『エクソシスト』の大ヒットをきっかけにハリウッドでホラー映画ブームとなった時、「悪魔の力なぞ大したことはないのだから、大げさに恐怖をあおるように描いてはいかん」とキリスト教関係者がクレームをつけたなんて話もあります。

 クラーク・アシュトン・スミスの物語には、確かにダークファンタジー的な要素は強く、多神教文化を書いているけれども、根本には世界への、人間への、そしておそらくは神への信頼が感じられます。

 何が言いたいかと言うと。

 ラブクラフトの感受性は当時のアメリカ人のスタンダードではなく、作家のスタンダードでもなく、むしろラブクラフト自身が差別される側の人間だったような気がするのです。

 実際に、ラブクラフトは生前はあまり認められず、死後にホラー作家の評価を得ました。

 仲が良かったクラーク・アシュトン・スミスは生前から評価されていたというのに、です。

 だから私はラブクラフトがそんなに嫌いにはなれません。

 クトゥルフ神話大系の創始者であり、偉大な作家の一人と思います。

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