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【近未来SF短編】AI暴走〜都市の空虚危機 第2話(3話完結)


 深夜はプログラミングルームに向かう。交通管理局の精鋭プログラマーたちの職場兼寮だ。フロア全体にロの字型になった廊下にいくつものドアがあり、その中はそれぞれのプログラマーの事務所であり、さらに奥は生活の場となっている。

 この時代、自炊する者は少なく、住まいには寝台とソファとテーブルだけだ。トイレと大浴場と個別シャワルームに社員食堂は、清潔に保たれた共用を皆で使う。深夜の局員寮も似たようなものである。

 深夜は料理が好きなので、最新型の圧力鍋を2台持っていた。自室の手洗い場──それは共用のトイレや大浴場とは別に各室に取り付けられている──で、皿や鍋を洗った。

 深夜は個人的なこだわりとして、手洗いも食器洗いも風呂場に持っていくのも、20世紀から変わらない無添加の固形石鹸を使う。高価な物ではない。

 深夜はプログラミングルームリーダーの青里の部屋の前に立ち、インターホンで知らせる。

「失礼します、渋谷区管理者のカナモリ深夜です。11番線のチェックに来ました」

 青里は年齢も性別も不詳で、いつもダークグレイのスーツに身を固め、青い縁(ふち)の眼鏡を掛けていた。

「了解です」

 無口でそれ以外は何も言わない。無愛想だ、とは深夜は思わなかった。淡々として手際が良い。無駄を省いた仕事ぶりだと感心してさえいる。

「どうぞ」

 ドアが開き、職務室に招き入れられた。各室内には監視カメラがある、仕事ぶりの監視と万が一に備えて。

「失礼します」

 組織内での序列は管理者である深夜が上だ。それでもそれなりの礼節は必要とされる現代。まして青里はプログラマーのリーダーであり、局でのキャリア自体は若い深夜より上だ。

「こちらのタブレットからどうぞ」

「確かに受け取りました。おれの職務室に持っていきますね」

「どうぞ」
 
 深夜は青里の職務室を出た。

 管理者が専用の寮から通うのは、プログラマーたちより立場が上で優遇されているからだ。職住近接は現代の常識だが、それにも限度はある。自宅がそのまま職場のビルの中。それを誰もが歓迎するわけでもない。

 プログラマーたちのフロアから上に上がり、自分の職務室に入る。預かったタブレットを操作、検査。

 何も異常はない。これなら大丈夫だろうか? いや、念の為、もう一度最初から精査だ。

 深夜は疲れを感じていた。伸びをして肩と首を回す。こうした人体の構造と限界は時代やテクノロジーが変わっても変化は無い。

 タブレットから自分専用のPCに目を移す。異変を見つけた。

「なんだ、これは」

 交通管理局のマップの一部が赤く点滅していた。局のビルの一箇所。

 主任に報告するべきか? いや、あの人は何でもかんでも相談されるのを逆に嫌がる。自主性がないと。とりあえず見に行こう。それから報告するのが良いだろう。

 深夜はそう判断した。その判断を後で文字通り死ぬほど後悔するのだが。 

 

 赤く示された場所は深夜のいるフロアよりずっと下になる。高速エレベーターで降りてフロア内に入った。この時にも電子IDをかざして入れてもらわねばならない。管理者には大体のフロアに立ち入る権限がある。末端扱いのプログラマーたちとは違う。

 背後で高速エレベーターの扉が閉まった。不吉な音。いつもと違う音だ。

「何だ?」

 あわてて振り返り、エレベーターのボタンを押そうとする。エレベーター扉前のゲートをすでに通って来ていたので阻まれた。

「おれは管理者だ。通せ!」

 返事があるわけもないが電子IDをかざして叫ぶ。こんな事態は初めてだった。地震などの天災への対処と異なり訓練していない。システム依存症候群が多い現代人としては、これでも冷静さを保っている方ではある。

 こんな時のための緊急事態用のボタンがあるはずの場所に向かう。ボタンは各フロア同じ位置にある。エレベーターとゲートから離れて、緊急事態ボタンを探し始めた。

 緊急事態ボタンはすぐに見つかった。ゲートからさほど遠くではない。押す。反応がない。また押す。やはり反応はない。

「どうなっているんだ?」

 深夜はそこで思いがけない顔を見た。

「里図? 何でここに?」

「お父さんの会社が、ケータリング会社からの依頼でコンサルティングをしていてね。私に実地に見て来いって」

「この交通管理局にメシを運んでいるのか?」

「そうだよ」

「分かった。だけどここはちょっと今は」

「なに? 何かあったの?」

「ゲートが開かなくなった」

「え? 深夜のIDは?」

「おれのIDでも駄目なんだ」

「え、嘘……。ええと、じゃあ緊急事態ボタンがあるはずだよね、今どき無いわけが」

「それが……」

 深夜はもう一度、里図の前でボタンを押した。やはり何の反応もない。

「え、そんな。あー、それじゃ非常階段で外に出よう? 高いフロアからだから、大変だけど」

「里図はおれより冷静だな」
 
 深夜は感心した。

「あたし、高層マンション暮らしだからね? いざという時のための話はちゃんと聞いてるの。システム依存症候群の話も知ってるし」

 里図は深夜を勇気づけてから、彼に背を向けた。

「さあ行こう。こっちだよね」

「システム依存ではなくとも、万が一の事態で沈着さを保てるかは別問題だ。里図は本当に腹が座ってる」

「へへ、褒められちゃった」

 非常階段は、緊急事態ボタンがあるのとは反対側のはずだ。どちらもエレベーターやゲートからさほど離れてはいない。
 
 突然、天井からシャッターが下り始めた。スプリンクラーが作動して、二人はたちまちずぶ濡れになる。床のカーペットも水浸しになり、靴の中にまでしみ込んてきた。

 深夜は里図の手を引いてシャッターまで走り出す。向こう側に非常階段がある。急がなければ。

 何とか二人とも、ギリギリでシャッターをくぐり抜けた。ずぶ濡(ぬ)れの床を這ったので、服もずぶ濡れだ。

 非常階段前にもゲートがある。電子IDをかざす。開かない。

「?! なぜだ!?」

「もう、無理やり越えちゃおう!」

 里図は先にゲートをよじ登り始める。全身スポーツウェアなのが幸いした。

「さ、深夜も。カバンはこっち」

 深夜はカバンをゲート越しに渡す。若干動きにくいロングキュロットなのが災いしている。前世紀の始め頃までなら女性用とされていたデザインだ。昔フェミニンとされていたデザインは、基本的には激しい動きには適さない。

 それでも里図の手を借りて何とかゲートを越えた。
 次には、非常階段のドアを開けなければならない。

 けたたましい警告音が鳴り響く。ゲートを無理に越えたからだとすぐに気がついた。AI警備が来る。まさかここに勤めていて、自分が警備に追われる側になるとは思わなかった。

 23世紀。日本も自衛権が強く認められるようになった。アメリカのような銃社会になる代わりに、そこかしこに監視カメラと警報、そしてAI警備が、防護と排除と、時には攻撃をして来る社会になったのだ。

 太平洋の向こう側のかの国で、自宅への侵入者を銃で撃ち殺すのが許されるように、日本でも申請を通ったAI警備には攻撃の許可が降りていた。

 早く非常階段のドアを開けて逃げなければ。だが焦るほど手が上手く動かなくなる。電子キーの在り処が分からない。カバンの中に入れたはずだ。底を探るが見当たらない。カバンを逆さにして床にぶちまけ、必死に探し続けた。見つからない。

「里図、もういい。俺をおいて逃げてくれ」
「そんなわけにいかない! 一緒に行くの、絶対に深夜を置いては行かない」
「キーが見つからない」
 絶望と覚悟がない混ぜになった言葉を発する。

「あたしのキーで一緒に出て」
「それは無理だ。このビルのAI管理システムには、おれも関わっていたんだ。それが無理なのはよく分かっている」
「やってみなければ分からないよ?!」

 里図は床にひざまずく深夜の左腕を抱え上げた。ぶちまけたカバンの中身をかき集めて詰め直す。

「持って! さあ行こう」
 ごたごたに詰め込まれたカバンを抱えて、深夜は立ち上がる。

「ありがとう、やれるだけはやってみよう」
 自分が生きて出られなくてもかまわない。そんな気分になっていた。ありがとう、里図。その気持ちだけでも充分だよ。
 電子ロックのある分厚いドア。これが自分たちの安全を阻む物になろうとは。

「開けるよ」
 里図は言う。ドアはすぐに開いた。
「来て」
 里図は自分のカバンをドアに挟み込む。次に深夜の手を引く。
「先に出て」
「駄目だ、里──」

 さらに、けたたましい警報が鳴り響く。ドアはロックされ掛かっていた。里図のカバンは、丈夫な革製だが保たないだろうと見えた。
 里図は無理やり深夜をドアのすき間から押し出す。次いでカバンを持ち上げ、再度電子キーを当てて解除しようとした。

 ドアは閉まってゆく。開かない。警報が鳴った。
「里図!」
「行って」
「でも里図」
「いいから!」

「里図が」

 もう里図からの声は聞こえなかった。



 ドアは完全にロックされていた。

「もうここからは出られないね」

 里図は独り言を言う。

 背後から人が忍び寄るのを気配で感じていた。 



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