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【サスペンス小説】その男はサイコパス 第22話

 水樹の言った内容は、大方は知也の推測通りだった。細部までは予想できなかったが、時道翁に恨みを持った者は、確かに警備会社にいた。

「警備会社に叔父さんがいるのか」

「そうだよ」

「時道爺さんの息子でなく、お前の父親の弟なんだな」

「そう」

 水樹の父親は入り婿だ。時道老人の実子ではない。

「爺さんに何か恨みを持っていそうなんだな」

「一応は。あんな恐ろしい事件を起こすほどとは思えない。でも警察からは何でもいいから少しでも心当たりがあれば話してくれと言われた」

 水樹はアイスコーヒーを一口飲む。

「叔父さんには悪いんだけど、何かのヒントにはなるかも知れない。刑事事件の捜査なんて僕には分からないんだ。たとえ弁護士であってもね。だったら専門家である警察に任せるしかないだろう?」

「そうだな。刑事事件捜査の専門家じゃないが、俺も助けにはなれるかも知れない」

「なぜそこまでしてくれるんだ? お前の仕事の範囲を超えているだろう?」

「うーん、それはな、単なる興味だ」

「興味って、お前な」

 水樹は呆れると言うより、愕然とした様子を見せた。

「そんな顔をするな。お前や爺さんを助けたい気持ちはある。だがそれ以上に、ワクワクするような面白さを感じる。推理小説の世界に入り込んで、探偵役をしているような気分になれるんだ。これを見逃す手はない」

 水樹は黙って何も言わなくなった。知也から目を逸らし、窓の外を見つめる。戸惑いと微かな恐れ。その恐れは知也に向けられている。犯人でも警察でもなく。

「悪いな、俺はこういう人間なんだ。お前が空気読めないのと同じだ。いや、同じではないとお前は言うだろうな。専門の医者も、世間もマスメディアもそう言う。今の世の中ではそうなんだ。それは仕方がない」

 水樹はゆっくりと顔の向きを知也の方に向け直した。疑問と懸念。それが全身に表れている。

「不満なのか」

「不満ってほどじゃない。だけど、そうだな、今の世の中で常識や良識とされていることを、全部無条件に受け入れるほど優等生にも従順にもなれない、とだけ言っておく」

「知也、無理して僕と付き合ってくれなくてもいいよ」

「違うな、そういう話をしているんじゃない」

 知也は立ち上がってドリンクバーのコーナーに向かう。財布もスマートフォンも置きっぱなしだ。

 冷たい烏龍茶の入ったコップを持って席に戻る。水樹の飲み物も食べ物も全部そのままだ。食欲をなくしたのか、と知也は思った。
 
 席に着いた知也に水樹は、

「じゃあ何が言いたいんだ?」と問う。

「単純な話さ。価値観や常識は変わってゆく。今の常識に囚われていると、あっという間に老害ってやつになる。そうならないためにはさ、普段から思考訓練をしておかないとな」

「思考訓練?」

「頭を柔軟にして、自分で考えるんだ。必ずしも結論は出せなくてもいいし、まして自分が出した結論を他人に示さなくてもいい。同意を求めたいならなおさら示さないほうがいい。同意されるとは限らないからだ。ただ考えるのは止めない」

「サイコパシースペクトルの持ち主が、特定の職業においては能力を発揮するのは知られてきている」

「何があっても冷静で、時には冷徹になるのが必要な仕事ならな」

「行政書士は違うのか?」

「全く違わないわけじゃないな」

 水樹は黙った。

「それでお前の叔父さんの話だ。まだ終わってないだろ?」

「叔父さんは昔、時道お祖父さんに借金を申し込んたけど貸してもらえなかった。叔父さんの息子、僕の従兄弟の病気の治療でアメリカに行って、多額の医療費を払わないとならなかった。だけどお祖父さんは貸さなかった。もちろん、法的に貸す義務はないさ。お祖父さんにとっても、決してお小遣い程度の金額ではなかったしね。だけど」

「叔父さんの立場からすれば、恨むには充分な理由ってわけだな。その従兄弟はどうなったんだ?」

「死んだよ。日本の病院でね」

「そうか」

 知也はそれだけを言った。何の感慨もなかった。ただ、一般的には、叔父さんは同情されるべき立場で、孫の従兄弟を見殺しにした時道爺さんは批判されても仕方ない立場なのだろうとは分かっている。

 そんな一般人の気持ちに共感できなくても、なぜそうした気持ちになるのかは推察できた。大体は。できないときもあった。椿の思いとか。

「知り合い程度の女友達ならいくらでもいるけどな。やっぱり深い付き合いになると駄目だな」

 かつて水樹の前で淡々とそう口にした。水樹の方も覚えている。

 水樹は思う。いいや、知也はこうだからこそ頼りになる奴なんだ。誰でも多かれ少なかれ、長所と短所は背中合わせだ、と。

「無理しない程度に助けてくれるとありがたい。警察を信用しないわけじゃないが、やはり取り調べを受けるのは抵抗がある。気を許せはしないよ。警察にもいろんな事情や人間がいるわけだしね。少なくともお前は、僕を友人と思っていてくれているんだろう?」

「俺の方が勝手に」

「いいや、勝手じゃない。ありがとう、恩に着るよ」

 知也はにやりと笑ってみせた。

「なら、何か奢(おご)ってもらおうかな」

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