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長男教と介護だけはなかなか令和にアップデートされないようだ

家父長制は1947年に廃止されているのに

登場人物:

  • 私(50歳)1999年結婚⇒2000年より同居⇒2016年より仕事復帰⇒2023年退職し在宅ワーカーへ

  • 夫(52歳)個人事業主の傍ら資格の学校の講師も。週休1日

  • 義父(84歳)元中学校教諭。定年後は畑仕事と不動産管理の会社経営⇒2018年脳出血⇒2021年認知症の兆候

  • 息子(22歳、20歳)長男は新社会人・次男は大学生

  • 義弟夫妻(40代後半)隣に住む。子どもなし。義弟は土日休み、義妹は専業主婦で療養中

  • 義伯母①(85歳)右2軒隣でひとり暮らしする義父の姉

  • 義伯母②(93歳)我が家の敷地内でひとり暮らしする義母の姉

  • 義母(享年69歳)2007年がんで他界

私は結婚後も仕事はしていたが2001年に妊娠出産で退職し、次男が中学校へ入学したのを機に派遣社員に。
家事の負担は専業主婦時代と変わらず、夫は週に1日しか休めないため家事育児はほとんどワンオペだった。

そもそも自分の親を妻と同居させるという価値観=長男教は我が家で代々受け継がれているらしく、別居という選択肢はなかった。
長男を出産した際に、「でかした」と言われ、義母からは「〇〇ちゃんには家を継ぐように小さいうちから洗脳した方がいいわよ」と言われていた。

もちろん、私には「わが子と同居」という価値観は全くない。
でも、夫は「家を買うなんてこの先大変だから、将来住まわせてやる」と今から言っている。
義父も同じことを言っていたなぁと、ふと思い出す。
この人たち、すっかり「長男教」に染まり切っているんだなと。

ドキュメンタリーやニュースで独居(もしくは高齢者のみの世帯)の親の暮らしぶりなどの放送を見ると夫は「子どもは何してんの」と憤る。
その言葉、あなたにもぶつけたいとつねづね思っている。

子どもと年寄りの世話は女という文化は根強く残る

25年の結婚生活でわかったのは「子育てを妻に丸投げする夫は自身の親の介護も妻に丸投げする」ということ。
理由は「仕事が忙しいから」
物理的に関われないのはわかるし、家にいる時間が長い方が関わるのがスムーズなのも了承している。

それでも納得がいかないのは「育児も介護も当事者意識が感じられない」ことだ。
私が何を思い、何に迷い、何をやってきたのか見ていない。
話を聞いていない。
関心がない。

まして、子どもと違って義父は私の親ではない。
自身の親のことなのに、義父が現在どれほどいろいろなことができなくなっているのかがはっきりわかっていないうえ、口では「そろそろ施設かな」と言いつつ動こうとしない。
仕事が忙しくても施設を調べることくらいできるはずなのに。

先日は、義弟とばったり会ったので義父の話を立ち話でしたところ、
「そういえばうちの嫁さんが帯状疱疹で」
と言い出した。
これってどういう意味?と心にひっかかる。

ちなみに私から見て義妹は同じ嫁。
介護要員の頭数にははなから入れていないんだけど、私が声をかけないように義弟がガードしたということか。
そして、気づいたら義父の話はすっかりとんでしまっていた。

やっぱり兄弟そろって「親の介護は嫁」という意識が刷り込まれているのだなと実感した。

私はこの5年、義父中心の生活をしてきた。
やりたいことや行きたいところも義父に時間を譲って時間を溶かしてきた。
そんな義父も私がよその人に褒められても無言で、夫のことだけ「いい息子だよ!」と言い放つ。
それに心底がっかりしている。

長男教=親の世話を長男の嫁がすること⇒長男が親孝行

この価値観をひっくり返すのってなかなか難しいけど、少しずつでも変えていきたい、という希望だけは絶対捨てないぞと心に誓ってこの記事を書き記す。

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