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1番じゃなくて2番くらいが上手くいく

今まで満たされていたんだな


幼少期は引っ越しが多くて
同じ地域に2・3年しか過ごすことはなかった

新しい環境には抵抗なく馴染める性格だった

そして、転校生は目立った
目立つことも慣れていた

「中学受験がしたい」


と両親にお願いした。
周りに受験する子はあまりいなかったのだが、
知り合いのお姉さんが中学受験したのに憧れて
両親にお願いしてみた

今思うと…そんなこと言い出すなんて想定外だと思うし
おそらく金銭面でも色々悩んだと思うけど
(家も買ってたし)
両親は私のやる気を買ってくれてた

周りに中学受験のための塾もなかった
そもそも塾に行く子も少ない田舎

母親が車で20分の隣町で個別塾を探してくれて
塾長が女性の進学塾だった

けど、中学受験を教えてくれる塾ではなく
なんとか頼み込んで特別に個別指導してくれることとなった

もちろん先生たちも初めて。笑

志望校の問題集を買ってそれに沿って授業がなされた
部活を早退して疲れた身体で通っていたので、
授業中に寝そうになったことも多々(←本当失礼)

親戚界隈でも中学受験する従兄妹もいなかったので
みんなで応援してくれた

無事に女子校に合格して
これまた田舎から通うには大変ってことで
家族で引っ越すことに
持ち家は貸家にして。


また新しい環境で生活がスタートし、
中学生になっても女子からモテていた
(女子高だからだろうけど)
スポーツができて、勉強も中の上くらいにはいた

高校生になって『テレビ』の世界に本格的に興味を持って
どうしたらいいか?と将来を考えるようになった
高校受験がないから、早めに将来のことを考えられたんだと思う

・学歴は必要だろうな
・美人じゃないと
・英語も話せた方が有利だな

ということで。

「留学したい」

と両親にお願いした。
母親はだいぶ悩んでいたけど父親はノリ気で
すぐにOKが出た

姉妹校への留学制度には校内試験があって
英検4級しか持ってなかったけど合格。w
高校生活の1年間を留学先で過ごせたのは本当にいい経験だったと思う

帰国して今度は大学受験が待ってる

当時、AO入試からセンター試験、一般入試とすべて受けるつもりだった
武器は英語しかない、と思って、
文系の国際学部や外国語学科などを狙った

…けど私は持ってる

指定校推薦の枠が余っている、と担任から言われる
むしろ、願書出している大学なら、指定校で行ってくれ、と。
学部は経済学部だったけど、
英語は自分で勉強すればいいもんね。

ということで、早めに大学受験も終わった。

のんびり、ゆっくり、最後まで部活に参加したり、
バイトを少しやってみたり、
修学旅行にシンガポールいったり。

なんとも自由気ままだった

やりたいこと、進みたい道、かなえたい夢。
自分で決めて、両親のおかげで実現してきた
満たされていたんだと思う。

大学生になると、度々、

『自分って本当に幸せ者~』

と思うことがあった。自分が幸せなこと忘れないでいよう、って。
感謝の気持ちをもって表現していこう、って思っていた。

全ての欲を満たそうとするとキリがない
1番目にとどまると、落ちるのがこわくなる
2番目くらいにいて、向上心を持ちながらも、
今の立場で自由にいた方がよっぽどいいな。

飛白

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