我が家の不登校事情~はじめ~
皆様お元気ですか?
ごまです。
「不登校」ってどんな印象ですか?
私は余りポジティブな印象を受けない物の一つでした。
そして、まさか我が子にも降りかかってくるなんて思いもよらず、他人事のような物でした。
よその家庭のお子さんが不登校になっても「大変だね。無理させない方がいいよ。」なんて簡単に言っていた気がします。
実際当事者になって初めてわかる事があります。
それは、大変なんてものじゃないということ。
まず、理解がおいついて行かないのです。
不登校自体は分かっても、不登校になる事が理解できないと言うか…。
なぜ我が子が?
学校に行かないなんて理解出来ない。
学校に行かないと将来どうなるの?
未知との遭遇過ぎて、先をイメージできなくて不安でした。
そして、自分の育て方が間違っていたんじゃないかと否定された気持ちにもなりました。
我が子がどんな思いで不登校になったのかすら考える余裕はなく、ただ学校に行って欲しかった。
皆と同じ様にして欲しかった。
発達障害でフォローしてもらっていたのも、皆と同じように出来るが基準だった私は余計に執着していた気がします。
私の子育ては間違ってなかった。って、思いたかった。
我が子が学校に行けたら、皆と同じに出来たら、それは正しかったんだと思える気がしていたのだと思います。
私は自分が安心したいが為に我が子を利用していたに過ぎなかったのです。
その当時はそんな事思う余裕もないですから、毎朝地獄の惨状です。
罵声に、髪の引っ張り合い、甘え…。
鞄と我が子を外に放り投げた事もあります。
こんな状況でも私は仕事に行き続けました。
我が子に寄り添う事から逃げたのです。
仕事をして忘れたかった。現実逃避です。
でも、我が子は家で24時間不登校と戦っていたのですよね。
皆と同じにできない。
皆が出来ている事が出来ない。
行かないといけないと分かっているのに行けない。
どうして行けないのかわからない。
どんな気持ちだったのかは想像でしかありませんが…。
毎朝制服に着替える我が子。
一日制服で家にいる我が子。
ある日帰宅した私にポツリとつぶやきました。
「今日も行けなかった…。」
この時初めて『行きたいのに行けないんだ』と分かりました。
学校に行きたいのか、私の為に行こうとしていたのかまでは分かりませんが、我が子は毎日毎日一人で向き合ってきたんだと分かりました。
毎朝怒鳴られ、捨て台詞吐かれ、一人にされ、帰って来た私にまた罵声を浴びせられ、そんな毎日を必死に生きていたんだと知りました。
我が子が絶望した顔で玄関に座っていました。
学校にも行けない。
家にも居場所がない。
どんな思いで毎日を生きていたのか。
今思うことは、「よく生きていてくれたな…。」と言うことです。
我が子が学校に行くと家を出て、もし帰って来なかったら…。
そこ迄追い詰められ私はようやく不登校を受け入れようと思える様になりました。
不登校になりはじめて2ヶ月がたって居ました。