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かえるの子はかえる

幼い頃から母が怖かった。

母は明るくて面白くてそれでいていつも怒っているように見えた。

優しくて世話好きだったけれどやっぱり怒っていた。

誰かに何かに怒らなきゃやってられないんだろうなって子どもながらに知っていた。


いつからだったんだろう。

朝起きてからすぐに母の機嫌をチェックするようになったのは。

いつからだったんだろう。

敵うわけないと思っていた母に勝ちたいと思うようになったのは。



親は正しい!ってそんなことないじゃん!

そんな反抗期の切符を手に入れたのはたぶん小学5年生くらい。

初めての反抗期列車は鈍行で、母の何気ない言動一つ一つに苛立つ。

ビビりながら様子見ながら小出しのレジスタンス。

ムスッとしたり、睨んでみたり、ため息をついてみたり。私、反抗してますよってアピール。



中学生になると、世界が一気に広がる。

電車で通学するようになったことも、週7のブラック部活をこなしていくことも、見える景色を爆速で変えていく。

鈍行だった反抗期列車は快速に格上げだ。

スピードが上がれば調子にも乗るのが人間の性。

青春切符さながら反抗期列車に乗り合わせた友人から最強の決め台詞を入手する。


「人それぞれ」


いつも何でも決めつけてくる母が嫌だった。

だから、初めて「それってさ、人それぞれでしょ?」と返した時、母が怯んだように見えて、その瞬間、勝った!と思った。


一度使ったら手放せないパワーワード。

「人それぞれ」

何でもかんでも「人それぞれだからねー」「でもさ、人それぞれじゃない?」「まあ、人それぞれだし!」

バカの一つ覚えと言われたらそれまでなのだが、個性を尊重出来る私ってばカッコいいって酔いしれていたんだろう。

それどころか、母と対等に会話をするどころか少し上から物を言えるような気がして、ことあるごとにパワーワードを繰り返していた。


そんなある日、突然、母の凄まじい反撃をくらう。


「いい加減にしなさいよ!!人それぞれ、人それぞれってねぇ!!それじゃあ社会は回らないのよ!!!」


(た、た、たしかに!!)


あの、妙に納得した感覚は今も忘れられない。

もちろん人それぞれなんだ。
けれど、私の人それぞれは、その人のそれぞれを大事にするのではなく、安易にわかったふりをしているだけのものだった。

今も人それぞれだよねって思うけれど、その人それぞれに思慮と愛を添えるようになったのは母の渾身の一撃のおかげに他ならない。



あの頃の私に問う。

遅刻しそうだからと駅まで送ってくれたのはだれ?

毎日お弁当を作ってくれていたのはだれ??

怒りながら心配をしていてくれたのはだれ???

そう…くれていたのはだれ?



母は、私にとっての理想のお母さんとは違った。

成績、容姿、立ち居振る舞いを常に評価されることはすごく嫌だったし、苦しかった。

けれど、甘えて権利ばかり主張した私の反抗期に怯むことなく立ちはだかってくれた。

あの時、斧を振り降ろさんばかりに怒られなかったら、私は勘違いし続けていたと思う。



お母さん…私の息子…私、そっくりです(笑)


かえるの子はかえる。

かえるの親子。

ゲコゲコ。


階段の上から母である私に怒号を浴びせ勝ち誇った息子は、翌日私に「権利ばかり主張している!最低限のことくらいやってから言ってほしいんだけど!」と冷静(ではないかも)に指摘され…

毎晩せっせと水筒を出しています。

朝も自分で起きています。 

洗濯物はかごに入れて、コップを部屋に置きっぱなしにしないようにがんばっています。

かわいいじゃないか!!

また怒号を浴びせてきたら、はらわた煮えくり返しながらまずは聞いてあげよう。

そして、時に反撃もしよう。

キミのお母さんはそんなお母さんなんだ。

キミの理想のお母さんとは違うかもしれない。

けれど、キミのお母さんなんだ。




読んでくださってありがとうございました。
この企画、思いついた時とまるで違う感覚で進んでいきます。

すでにご参加いただきましたみなさんのnoteはマガジンにまとめています。
大切なあの頃を振り返って教えてくださったnote、大事に保管してまいります。

引き続き、ご参加お待ちしています。

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