見出し画像

怠惰な私とnoteの仕様

 こんにちは、澄田杏です。7月15日以来の投稿になります。「ずっと発表し続けること」が何よりも大切で、投稿しやすいことが売りであるこのnoteというプラットフォームにおいて、18日間もの空白を生み出しました。そして、そのnoteを投稿しなかった期間、私は何もしていませんでした。タスクもこなさず、投稿を遂行するでもなく、外出するでもなく、ただ怠惰に生活していました。

 私はこんなことがしょっちゅうあるのです。「自分の愛する生産性のないこと」しかできない期間があるのです。「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」と漱石先生はおっしゃりますがまさにその通りで、今までふんだんにあった知的好奇心・勉強意欲・社会意識を全て失った私は、"社会不適合者"とも形容できるかのような生活を送っていました。「~しなきゃいけない」「~までに終わらせなければいけない」と語り掛けてくる理性は消え、堕落した生活を送っていました。

 今現在は「noteを書こう」という意欲が出ているわけですが、そうなってくると放置してしまったタスク・期限が過ぎてしまったタスクによる圧力が襲ってきます。「自分のせいだろ」というのは百も承知です。でも私は、この厄介な性格が治せずにいるのです。というか、noteを始めた一つの理由にも「継続して取り組むことを生み出すため」というのがあったような気がします。結果は成功とはいえないわけですが...


 さて、ここまで私の性格の暗い部分に関する内容を記してきたわけですが、物書き素人による自分語りに共感していただけたでしょうか。暇をつぶせたな、と感じたでしょうか。また、ためになる・人生経験の足しになる、なんてことはありましたでしょうか。

 おそらく、「ためになった」という人よりも「共感できた」「暇をつぶせた」と感じた方の方が多いと思います。

 というのも、この間「noteの競合先ははてなブログよりもTwitterやFacebookや!」という内容の記事を読みまして。確かに論理的に考えたらそうなんだけど、実際自分の感覚としてはどうかな...と思いまして(思っただけ)。記事を読み直してみるとまあ自分語りの嵐でして。多分自分は「自分語りを長々とでき、形式もブログっぽくて執筆してる自分が少し意識高そうに思えてくるTwitterの様なもの」としてnoteを考えていたのだろうと考えました。実際、ブログでこんな自分中心で話題も定まってない記事を投稿しても需要があるとは思えませんしね。結構こんな感覚で執筆されている方、多いんじゃないでしょうか。

 そんなわけで、私はまた自分かたr...エッセイを中心に投稿していこうと思います。今度はがむしゃらかつ定期的に投稿しようと思います。

 そして、Twitterのノリでのスキ・フォロー等もお待ちしております。



 ...言ってみたかったんですこれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?