お嬢様とヒツジとの哲学的口論「批評って、好き嫌いのことじゃないの?」

〈登場人物〉
マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。
ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。

マイ「この前、『万引き家族』っていう映画を観たんだけど、評判になった割には、いったい何がいいのかさっぱり分からなかった。何を描きたかった映画なのか、意図が全然読み取れなかった。やっぱり、評判が良かった映画なんて、観るもんじゃないね」
ヒツジ「やれやれ」
マイ「何よ?」
ヒツジ「お前には、芸術作品を鑑賞する資格は無いな」
マイ「どういうことよ? 映画観るのに、資格なんて必要あるわけ?」
ヒツジ「ただ観るのには資格はいらないが、観て批評するのには資格がいる」
マイ「批評って、好き嫌いを言うことでしょ? 映画を観て好き嫌いを言うことにだって、資格なんていらないじゃん」
ヒツジ「お前は本当にバカだな。批評は、好き嫌いを言うことなんかじゃない。批評というのは、その作品によって、お前が何を考えさせられたかというそのことだ。その作品が好きだとか嫌いだとか、そんな話じゃない」
マイ「何を考えさせられたかって、だって、何も考えさせられなかったもん。ただ、意味分かんなかったなって」
ヒツジ「それは、お前が、受け身で映画を観ているからだ。映画にどんなメッセージが込められているか、あるいは、監督の意図を超えて、どのようなメッセージが伝わってしまうか、そういうことに思いを馳せて、作品を鑑賞する、そういう緊張感を持つことが、批評するための資格なんだ」
マイ「何言ってるの? だって、作品によって何かを伝えるのはあっちの責任でしょ。こっちに伝わらなかったら、それは、あっちのせいじゃん」
ヒツジ「そうやって、どっちの責任なんてことを考えることによって、お前が、映画を観るために費やした時間や金やエネルギーは確実に無駄になるんだぞ。何も伝わらなかったのであれば、どうして、何も伝わらなかったのか、ということを、考えてみろ」
マイ「やだよ、そんなめんどうくさいこと。なんで、映画を観て、そんなことをしなくちゃいけないのよ。楽しむために映画を観ているのにさあ」
ヒツジ「楽しむためだというなら、何が描きたかったか分からないとか、批評じみたことはやめるんだな。そうして、娯楽のために映画を観るというなら、映画を観ることは、ただの暇つぶしということになる」
マイ「暇つぶしじゃ何がいけないのよ」
ヒツジ「別に何もいけないことなんてない。ただ、そうやって暇つぶしによって占められたお前の人生とはいったい何なのかと思ってな」
マイ「わたしだって、別にいっつも映画観ているわけじゃないし。たまに観ているだけで、なんで人生を無駄にしているとか言われなきゃいけないわけ?」
ヒツジ「無駄にしていることは事実だろう。そうやって、面白いとか面白くないとか、そんなことに気を取られて、時間を使っているわけだからな」
マイ「じゃあ、映画は、観るとしても、あんたが言うようにめんどうくさいことを考えて、観なければいけないってわけ?」
ヒツジ「いけないというわけじゃないが、ただ、楽しいとか楽しくないとか、そんな感想しか抱けないのに作品を鑑賞するということは、端的に無駄と言っているだけだ」
マイ「同じことでしょ!」
ヒツジ「ま、人生を無駄にしたくなければ、作品を鑑賞するときに、批評の精神を持つことだな。そうして、作品を批評するということは、作品を鑑賞している自分自身を省みるということを知ることだ」

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