自分の頭で考えるヒント9 ~問題を一般化しないこと~

ある事件を聞いたときに、人はその事件から、事件そのものを見ずに、自分がその事件から問題だと思うものを見る傾向がある。それは考えるとは言わない。見当外れのことを思い悩んでいるだけである。いや、わたしは、事件から問題を正確に把握することができるという自信がある方は、ちょっと以下のニュースを読んでもらいたい。2月26日(火)の千葉日報のニュースである。

松戸新京成バス(松戸市紙敷)の路線バスの男性運転手(50)が車いすの男性の乗車を拒否していたことが25日、同社への取材で分かった。発車時刻間際で運転手は「あと30秒で発車なので無理です」と男性に伝えて発車したというが、同社は「乗客に状況を説明した上で、遅れてでも乗車対応すべきだった」と話している。同社によると、車いすの男性は22日午前10時45分ごろ、松戸市内の始発停留所からバスに乗ろうとした。付き添いの女性が運転手に呼び掛けたが、運転手はスロープや固定ベルトなどの準備による発車時間の遅れを懸念。外マイクで「あと30秒で発車なので無理です。ごめんなさい」と伝え、乗車を拒否して発車した。

この事件に対してあなたならどう考えるだろうか。

立川志らくという落語家が、ある情報番組において、このニュースに対して、「運転手さんも、車いすの人が自分の息子だったら、親だったらって想像したら、やっぱり絶対乗せてあげるでしょう。そういう想像力もないから、みんな心が狭く、ゆとりがない」と言って、批判していた。

つまり、彼は、この事件について、「バスの運転手が車いすの人を乗車拒否した」ことが問題だととらえて、それを批判しているのである。その批判が適当か不適当か、そんなことはどっちでも構わない。それより以前の問題として、この一件は本当に、バスの運転手が車いすの人を乗車拒否した、という話なのかどうか、じっくりと考えてもらいたい。

いや、それ以外に一体何が問題なんだと思うかもしれないので、ちょっと例を変えてみよう。あなたに高校生のお子さんがいたとする。縁起でも無いけれど、そのお子さんが、万引きをしたとする。お子さんの万引きを知ったあなたは、たとえば、現代の高校生の倫理意識はどうなっているのかなどということを考えるだろうか? そんな悠長なことを考えている暇は無いだろう。なぜ他ならぬ自分の子どもが、どういう事情から、万引きなどという行為をしたのかを具体的に知りたいと思うだろう。それが考えるということである。

上の事件であれば、なぜその運転手が、どういう事情から、車いすの人の乗車拒否をしたのかを具体的に知りたいと思うことが考えるというそのことである。立川志らくやおそらくは他の多くの視聴者も同様だっただろうが、上の事件を具体的に知りたいと思うことなく、適当に問題を一般化して、「およそバスの運転手が車いすの人を乗車拒否することは是か非か」などという問いを立てたことだろう。それは、自分の子どもが万引きをしたときに、「なぜ現代の高校生は万引きなどという犯罪行為を平気でするのか」という問題を立てるに等しい行いである。そんな問いを立てる親がいたら誰だって間抜けだと思うだろうが、世の中の事件を一般化して話すことに関しては誰も当然だと思っている。

問題を一般化してしまえば、話は簡単になるが、簡単になったことによって、その問題から、大切な、真に考えるべき点が抜け落ちることになる。問題は一般化しないこと。難しいことを言っているわけではない。ただ、ある事件を聞いたときに、「その事件を起こした人にも何か相応の事情があったんじゃなかろうか」と想像してみるだけでいいのである

読んでくださってありがとう。もしもこの記事に何かしら感じることがあったら、それをご自分でさらに突きつめてみてください。きっと新しい世界が開けるはずです。いただいたサポートはありがたく頂戴します。