少女とクマとの哲学的対話「『嫌われる勇気』に関する考察9」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
アドレリアン……アドラー心理学を学ぶ人。

共同体感覚

アドレリアン「仮にですよ、仮に、全ての悩みが対人関係の悩みではなかったとしても、現に対人関係に悩んでいる人がたくさんいるわけですから、その悩みを解決するための理論が必要とされることは、承知していただけますね?」
クマ「あるものを必要とする人にとって、そのものが必要であることは、認めるよ」
アドレリアン「では、話を進めさせてください。それとも、あなたは、わたしとの対話に価値を認めていないでしょうか?」
クマ「認めていないどころか、まったく認めているよ。色々と新しい考えを聞くことができて、とても興味深いね。キミの方こそ、ボクたちと対話をすることを楽しむことができているかな?」
アドレリアン「もちろんです。さきほども申し上げた通り、わたしは、対話を通じて真理を追究したソクラテスを尊敬しているのですから」
クマ「それはよかった。じゃあ、話を続けてもらえないだろうか」
アドレリアン「分かりました。課題の分離というお話をしましたが、あれは、実は対人関係における出発点に過ぎません。自分と他人の課題を分離して、自分の課題に集中し他人の課題には立ち入らないというのは、それ自体が目的とされるものではないのです」
クマ「なるほど、課題の分離は、対人関係の究極的な目的ではなく、手段に過ぎないということだね」
アドレリアン「そうです」
クマ「それじゃあ、対人関係におけるゴールというものは、どういうものになるのだろうか」
アドレリアン「それをお教えするのはいいのですが、かなり唐突に響くのではないかと思います。そうして、実を言えば、わたし自身もはっきりと理解できているわけではないのです。アドラーでさえ、『到達できない理想』だと認めているくらいですからね」
クマ「ボクは、そういう話の方がむしろ好きなんだ。遠慮無く言ってくれないかな」
アドレリアン「では、申し上げましょう。アドラー心理学におけるゴールは、『共同体感覚』と呼ばれるものです」
クマ「共同体感覚?」
アドレリアン「そうです。他者を仲間だとみなし、そこに『自分の居場所がある』と感じられることを共同体感覚といいます」
クマ「なるほど。でも、その考え方のどこが唐突なのかな。割とよく聞く話のような気がするけど」
アドレリアン「問題はこの『共同体』の中身にあるのです。ここでいう共同体は、家庭や学校や職場、地域社会だけではなく、国家や人類を包括した全てであり、時間軸においては過去から未来までが含まれますし、さらには動植物や無生物まで含まれるのです」
クマ「…………」
アドレリアン「…………」
クマ「それだけかな?」
アドレリアン「え?」
クマ「いや、それで共同体の中身の話は終わりなのかなと思ってね」
アドレリアン「え、ええ、終わりです。にわかには納得できないお話だと思いますが」
クマ「いや、納得できないどころか、それは大いに納得できる話だね」
アドレリアン「なんですって!?」
クマ「これまでキミから聞いてきた話の中で、もっとも分かりやすい話だと思うけど」
アドレリアン「いや、ちょっと待ってください。この話のどこが分かりやすいものですか。全時空に渡る存在を包摂したものを共同体とするんですよ。……さきほど言った通り、アドラー心理学を学んだわたしでさえ、その境地には至っていないのですから。事実、アドラーがこの考えを提唱したときに、多くの人が彼のもとを去ったと言います」
クマ「まあ、そうだろうね。分からない人には分からないだろうね」
アドレリアン「あなたには分かると?」
クマ「明瞭すぎる当たり前の話だよ。なにも特別な境地に到達する必要なんかない」
アドレリアン「……もしよろしければ、この言葉の意味するところを、教えていただけないでしょうか」
クマ「もちろん構わないけれど、これは、ボクよりも、アイチに聞いた方がいいと思うな」
アドレリアン「アイチさんに?」
クマ「こういう『存在』に関する話は彼女の得手なんだ。それとも、キミは年下の人間に何かを教えてもらうのに抵抗を覚えるかな?」
アドレリアン「そんなことはありません。対話相手の年齢など、対話の内容には何の関係もないことです。お願いします、アイチさん」
アイチ「わたし?」
クマ「そうだよ。共同体というのが全時空に渡る存在を包摂したものだということを、分かりやすく説明してくれないかな」
アイチ「分かりやすいかどうか分からないけど……あなたの言う『共同体感覚』って、どのような場所にいる人でも、どのような時間にいる人でも、もっと言えば、人じゃなくても、動植物でも、無生物でも、自分の仲間だって感じることでしょ?」
アドレリアン「そうだよ! ……しかし、それは、やはり特殊な境地じゃないかな?」
アイチ「仲間だって感じるっていうことは、自分と変わらないんだって感じるっていうことで合ってる?」
アドレリアン「合っているよ。自分のことのように感じられる人のことを、仲間と呼ぶわけだからね」
アイチ「わたしは、どんな人でも、どんな物でも、わたし自身と変わらないっていう感覚を持っているよ」
アドレリアン「なぜそんなことが可能なんだ!?」
アイチ「だって、みんな、この世界に存在しているっていう点で、おんなじでしょ」
アドレリアン「…………」
アイチ「もちろん、それぞれに特徴があるかもしれないけど、この世界に存在している、かつて存在していなくて、いつか存在しなくなるっていう点では、なんにも変わらないから。だから、みんな同じだと思う」
アドレリアン「…………これは、やはり、悟りの境地のようなものではないのだろうか。すまないが、ちょっとよく分からない」
アイチ「えーっと、たとえばね、わたしとわたしのお母さんを比べてみるとするよね。わたしとわたしのお母さんは別の人でしょ?」
アドレリアン「もちろん、そうだ」
アイチ「でも、わたしも年を取ればお母さんくらいの年齢になるだろうし、お母さんも若い頃にはわたしくらいの年齢のときもあったわけだよね?」
アドレリアン「まあ、そうだね」
アイチ「ということは、わたしとわたしのお母さんは別の人ではあるけれど、どちらにも若いときがあっていずれ年を取るということには変わりないよね?」
アドレリアン「……変わりないね」
アイチ「お母さんにも若い頃があって、いろいろ考えることがあって、結婚してわたしを産んで、いずれ年老いて、わたしも今は若いけど、いろいろ考えることがあって、もしかしたら結婚して子どもを産んで、いずれ年老いて、っていう人生のあり方は、何にも変わらないでしょう。だから、わたしもお母さんも一緒だと思うの」
アドレリアン「……その考えを全人類、いや、それだけじゃなく、今は存在していない過去や未来の人類、さらには、動植物や無機物まで広げるってことかい?」
アイチ「無理に広げようとするわけじゃなくて、存在っていうことを考えると、どうしてもそうならない?」
アドレリアン「すまないが、正直に言って、まったくピンと来ない話だ」
アイチ「そう。でも、別に謝ることはないよ」
クマ「まあ、こういうことは、理詰めで考える話ではないからね。分かる人には分かるし、分からない人には分からない。分からないからといって、その分だけ何か劣っているという話でもない」
アドレリアン「対話を重視するわたしとしては、ちょっとそれは聞き捨てにできませんね。理詰めで考える話ではないというのは、言語によるコミュニケーションの否定につながりませんか?」
クマ「言語によるコミュニケーションにはね、明確な限界がある。それは、言語によって伝わることしか伝わらないということさ。言語になる前の感覚的なところは言語によっては伝わらない。だから、アドラーが『共同体感覚』ということを言い出したとき、多くの人がアドラーのもとを去ったんじゃないかな」
アドレリアン「話しても分からないことがあると?」
クマ「そういうことだね」
アドレリアン「わたしは、人間の理性を信じています。話をすれば、互いに理解できるはずです」
クマ「アドラー心理学の前提には、人間が理性的主体であるとする考え方があるようだね。そうでなければ、感情を出し入れ自由の道具として見るなんていう考え方にはならないだろうからね。でも、それは、本当なんだろうか」
アドレリアン「人間は理性的な主体ではないと、そうおっしゃるんですか?」
クマ「理性というのは人間の一面に過ぎないとボクは思う。だから、理性を用いて言葉にできる部分というのは限られている。言葉にできない部分というものも数多くあって、それでも、伝わる人には伝わるということが確かにあると、ボクは思う。まあ、それはそれということにしておこう。共同体感覚に関して、ちょっとボクが疑問に思うのは、課題の分離という考えを入り口にして、どうやって、共同体感覚にいたるのかということだね」
アドレリアン「やはり、それを疑問に思われますか」
クマ「課題の分離というのは、自分の課題と他人の課題を峻別することだよね。とすると、それを行うことによって、他者に関わることがなくなるわけだ。そうすると、他者を自分の仲間だとする共同体感覚に至るのは難しくなると思うけれど」
アドレリアン「順に考えていきたいと思います。われわれは、共同体の一員として、そこに所属しています。この一員というところが大切です。われわれは、共同体の中心に位置しているわけではない。しかし、しばしば、自分こそが世界の中心に位置していると考えがちです」
クマ「なるほど。でも、そうじゃない、とキミは言うんだね?」
アドレリアン「そうです。そうして、自分が世界の中心にいると考えていると、自分以外の他者は自分のために何かをしてくれる人だと考えてしまう。それが間違いの元です。自分はあくまで共同体の一員であるに過ぎず、共同体の中心ではないのです」
クマ「ふふ」
アドレリアン「なにかおかしなことがありますか?」
クマ「いや、失礼。キミの話の続きを聞く前に、あきらかにしておきたいことができてね」
アドレリアン「あきらかにしておきたいことですか?」
クマ「うん、そうして、ボクはね、やっぱり、物事の何であるか、その前提を考えるのが好きなんだということが分かってね。それで、笑ったんだよ」
アドレリアン「どういうことでしょうか?」
クマ「キミは今、人は自分が世界の中心にいると考えている、と言ったね」
アドレリアン「ええ、言いましたよ。それが間違いだとも」
クマ「それが正しいか間違っているか、ボクはそんなことにはね、あんまり興味が無いんだ。それが正しいとしても間違っているとしてもね、どうしてそういうことが可能なのか、それが知りたいんだよ。さあ、キミは、どうしてだと思う。どうして、人は自分が世界の中心にいると考えてしまうんだろうか?」

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