少女とクマとの哲学的対話「歴史と物語の違い」
〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
クマ「何読んでるの?」
アイチ「横山光輝の『三国志』だよ。三国志好きの友だちから借りてきたんだ」
クマ「いいね。血湧き肉躍る、歴史マンガの傑作だね」
アイチ「すごく面白いよ。これって、史実なの?」
クマ「横山三国志は、吉川英治という人が書いた『三国志』という小説を基調にしたもので、吉川三国志は、史実をもとにして描かれた『三国志演義』をさらにもとにして書かれたものだから、史実そのものではないね」
アイチ「ふーん……でもさ、面白いからいいよね!」
クマ「うん。横山三国志や、吉川三国志、三国志演義を、史実そのものではないからといって、認めない人もいるね。でも、史実そのものかどうかなんてことが、どうしてそれほど重要なのだろうか。横山三国志等を読んだときに、ボクらは確かな感動を覚える。重要なことは、それだけじゃないか」
アイチ「どうして感動するんだろう」
クマ「どうしてだと思う?」
アイチ「うーん……わたしたちの生き方の理想を見るからかな」
クマ「そうだろうね。その生き様に感動を覚えるのは、自身の理想をそこに見るからだ。理想をそこに見るためには、先に理想を知っている必要がある。それが――」
アイチ「『イデア』だね」
クマ「そうさ、プラトンのね。プラトンは、2,500年も昔の人だ。その人が考えたことに納得する、心動かされる、これだって、三国志の登場人物の生き様に感動するのと同じだよ。そうして、感動できるということそれ自体が大切なわけだから、実は、イデアっていう考え方は、プラトンのものでなくてもいいわけだ。三顧の礼をしたのも、劉備じゃなくたっていいわけだよ」
アイチ「でも、三顧の礼をしていない劉備とか、イデアを考えていないプラトンって、そんなの劉備やプラトンじゃないんじゃないの?」
クマ「それもまた、その通りだね。それらをなすのは、その人でなくてもよかったのだけれど、なぜかその人だった。それがそのまま歴史というそのことなんだな。でも、だからといってだよ、誰それが何をしたなんていうことを知ることは、決して歴史を知ったことにはならないんだな」
アイチ「小中学校で覚えさせられたし、何だったら今でも高校の日本史や世界史の授業でやっているけどね」
クマ「くだらないことだね。何年に何があって誰がそれを為した、なんていうことを覚えたって歴史を知ったことにはならない。歴史を知るということは、そういうことではないんだな。昔の人がしたことや考えたことを知るとき、ボクたちは、確かな感動を覚えるじゃないか、自身の理想を見るじゃないか。それは昔の人がしたことや考えたことであって、自分のことでもなければ、同時代に生きている人のことでさえないのに、なぜだかそれに感動する。なぜだろうかと思うところからしか、歴史の勉強なんてものは始まらないし、実はそれに尽きるんだな」
アイチ「そうすると、歴史と物語の違いってなんだろう。現実に起ったとされていることでも、誰かが創作したことでも、どちらでも同じように感動を覚えるのに、どう違ってくるんだろう」
クマ「それはアイチが今まさに言ったことだけれど、一方は、現実に起ったとされていることで、一方は、現実ではないものだという違いだね。でも、現実に起ったとされている歴史も、結局は、物語になって伝わるしかないわけだから、歴史というのは、物語の一種と言ってもいいかもしれない」
アイチ「だとすると、歴史を学ぶことっていうのは、物語を読むことと、それほど違わないことにならない?」
クマ「ところが、そうじゃないんだな。歴史を知ることと、物語を読むことは、やっぱり違ったことなんだ。いいかい、アイチ。たとえば、キミは、高校に入学したわけだけれど、その高校に入学したという事実が、キミにとっての歴史なわけだ。これを、キミ個人のことではなくて、この世界全体にまで拡大したときに、この世界に起った事実が世界史というわけだよ。それを知ることは物語を読むこととは、やっぱり違うことだね。物語は、キミの人生の中で読むものであって、人生自体が物語じゃないのと同じことさ」
アイチ「でも、本当に起ったことなのかどうかは、分からないわけでしょ」
クマ「おや、でも、キミが高校に入学したことは本当に起ったことじゃないか」
アイチ「世界にも、確実に起ったと言えることがあって、それが歴史だってこと?」
クマ「そういうことだね。確実に起ったと伝えられている物語、それが歴史だということだね。単なる物語と違うのは、ときどき、新たな史実を裏付ける資料が出てきましたなんてことになって、書き換えられるっていうことだな」
アイチ「わたしがもう覚えていない子どもの頃のことを、お母さんから昔の写真を見せられて、思い出させられるようなもんだね」
クマ「そういうこと。現に起ったとされていることを伝える物語、それが歴史だ。歴史は物語そのものじゃない。でも、それが伝わるときは、物語にならざるを得ないっていうことは忘れるべきではないと思うな。そうじゃないと、本当に起こったことかどうかなんてことにばかり注目することになってしまう。大事なのは、そこじゃないんだな。本当に起こったことであろうがなかろうが、その出来事に対してなぜだかボクらが感動を覚える、こっちの方がずっと大事なことなんだよ」
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