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インターネットに未来はない(前編)

我々は、インターネットを今すぐやめるべきではないか?

この(半ば冗談のような)問いが現実味を帯びてきました。

我々はインターネットをやめるべきなのかもしれない。

※デジタルネイティブ世代真っ只中、高校生である私がオススメする「インターネットとの付き合い方」も書いていますので、お忙しい方は「現役高校生はどうSNSを使っているか?」という節以降だけでも、ぜひ御覧ください。※

PVという「あまーい蜜」

PVなどのリアクションが即座にあらわれるインターネットとは恐ろしいものです。

こちらは私が先日投稿して大きな反響をいただいた記事です。
(この記事を読んで、いっしょに考えてくださった方、本当にありがとうございます。感謝いたします)

昨日一日を過ごしていて、ハタと一日を振り返ってみると、恐ろしさすら感じました。

1時間おきに、「スキの数は増えているかな…?」と気になって、ブラウザのアドレスバーにnote.comと打ち込み、右上の通知マークに表示される赤い数字に注目してしまう。しかもこれを、ほぼ無意識のうちに行ってしまっているのです。

さらに、なんとはなしにTwitterを開いてみると「いいね」「リツイート」の嵐。記事そのものをシェアしてくださる方もいらっしゃいました。

恐ろしいことです。
Twitterを開いて、反応を見るのが止められない。

noteやTwitterの反応を気にするよりは、今「積ん読」している『丹下健三建築論集』(岩波文庫)を読んだほうがいいに決まっている。英検の勉強もしなくちゃ。
それなのに、見てしまう。

インターネットの「あまーい蜜」です。
インターネットの魔力です。

アンデシュ・ハンセンの『スマホ脳』に書かれていたことはこれか! と納得しました。これはインターネットから、電子機器から離れられないのもわかる。

SNSをやって、幸せか?

SNSをやっていて、幸せですか?

これは今私の胸に手を当てて自分に問いかけている問いでもあります。

私はSNSをやっていて、幸せなのだろうか?

SNSのおかげで繋がれる

SNSをやっていて「いいこと」があったのは間違いありません。

いろいろな方々の、いろいろな考え方に触れることができる。

先日のnoteに対する様々な方のダイレクトな反応を知って、自分の考えを深めることができています。(特に若者にとっても「コロナは風邪とはいえない」というお話はたいへん勉強になりました。ご指摘をくださった方、重ねて感謝申し上げます。)

また、ひとりの「若者」として、自分の中に潜んでいる素直な叫びを、幅広い方々に届けることができたとも思っております。

これは間違いなくSNSの利点です。

簡単に世界と繋がれる。

繋がることは幸せか?

簡単に世界と繋がれる。
これは、幸せなことなのでしょうか?

そもそも、SNS以外でも、常時繋がるというのは恐ろしいことです。

日常生活において、たいへん仲がいい相手同士でも、「常につながっている」というのはたいへんしんどいものです。

常に連絡が来るかもしれない、しかもすぐに返信を返さなければならないという強迫観念に支えられ、Slackの「シュココッ!!」やMessengerの「ポーン」が聞こえる度に「ああ、またか……。」という気分になる。

これは幸せなのでしょうか?

普段の繋がりですらしんどいのです。況やSNSをや。

「文脈なんか知らない」SNS

不毛なTwitter

断言しますが、Twitterは(特に今後5年で)不毛になる可能性が非常に高いです。

サイゼリヤがどう……とか、Twitterにいる(しかもごく一部の)人しか気にしていません。

スノーボードのハーフパイプのオリンピック中継がひどいとか、Twitterに書かれている不満を拾い集めてウンウンうなずくその時間、ムダではありませんか?

Twitterに限らず、SNSの厄介なところは、一言で言えば「文脈のガン無視」です。

140字で伝わるものか

SNSでは、基本的に、文脈というものは存在しないも同義です。

TLに流れてきたツイートを適当にいいねして、適当にリツイート/引用リツイートして。

レスバするときに努めて冷静に振る舞おうとしているそこのあなた。レスバをしている時点で正常な精神状態ではありません。今すぐTwitterを閉じて美味しいものでも食べてください。

Twitterは、140字のSNSです。140字では、何もマトモな議論などできやしない。

いや、もしかしたら、「140字までの手書きの手紙」「140字までのメール」ならマトモな話し合いはできるかもしれない。

でも、Twitterは違います。理性を失うからです。
Twitterで長文ツイートをすると、あるいは批判的なリプライに返信しようとすると、大抵の場合、自分でも何を言っているかわからない文章か、自分の言いたいこととはかけ離れた怪文書が爆誕し、そこには不毛がうまれます。

自分はInstagramを使っているから関係ないと思われるそこのあなた。ミシン目のように細かくなったストーリーの上部のバーに辟易していませんか?

自分はFacebookを使っているから関係ないと思われるそこのあなた。大量に流れてくる「すごいことしました!」「気持ちを長文で表現します!(5,000字)」に飽き飽きしていませんか?

現役高校生はどうSNSを使っているか?

現役高校生は、デジタルネイティブです。
一番インターネットとの付き合い方が分かっていると言っても過言ではありません。なぜならインターネットが身体感覚として身についているからです。生まれたときから手を伸ばせば届くところにインターネットがあった世代なのです。

①そもそもSNSを使わない

これが一番多いです。

今の(昔からかもしれませんが…)高校生たち、ボーッと時間を過ごせれば案外それで充分なんです。

そのためにはSNSは要りません。通話があります。

「今暇?ビデオ通話しようぜ」みたいなLINEも普通です。

彼女がいる同級生は深夜に彼女と通話をして楽しんでいるそうです。羨ましいなチクショウメ。

通話する相手がいないというそこのあなた。同志ですね。
本でも読むか、テレビでも見るかしてください。フェルナンド・ペソアの詩、オススメですよ。『不穏の書、断章』を紹介しておきます。

②SNSの平和利用

SNSでセンシティブな社会問題に言及しようとしているそこのあなた。やめておいてください。誰も幸せになりません。

大抵の場合、現役高校生が持っているアカウントは「リアル垢」「趣味垢」くらいです。
私自身も「リアル垢」を3つと、好きな曲をツイートをするためのアカウントを一つ持っています。
しかもリアル垢の方には全て鍵をかけています。

これくらいで終わらせておくのが、本来はベストなんです。

いや、これでも多すぎるかもしれません。
リアル垢も本当に気心の知れた友人だけのアカウントが一番楽なんです。何を言っても許されるだろうという安心感がある空間の心地よさは格別です。

③残り少数

……ええ、告白します。
残りのマイノリティとは私のようなような者のことです。

今どきSNSでまったく見知らぬ人とつながろうとする人はかなりレアケースです。

ですが私も気をつけていることが二つあります。

  1. いつでも消えられるようにすること。

    • リアルでの生活のほうが、あるいはあなたの個人的な感情のほうが大切に決まっています。SNSの使い方で悩んだら、いつでもアカウントを消すと決めています。

  2. SNSを使う時間を制限すること。

    • SNSは、ともすれば無限に時間を食っていく恐ろしすぎるツールです。しかもSNSに時間を使えば使うほど、自分の思考を読み取ったアルゴリズムが、自分好みの、偏ったタイムラインを作り上げていく。

    • 我々がそれに抗う方法はほぼゼロに等しいです。が、強いて言うなら、やはり「SNSをあまり見ないこと」に尽きるのです。

やはりSNSなど見ないのが一番

結局は、SNSはどうあがいても人を幸せにはしてくれません。「文脈のなさ」に囚われ、わけのわからない電子情報に一喜一憂することのなんと不毛なことか! しかもその電子情報の背後にいるのは、どこにいるかもわからない、見知らぬ人です。ああ、なんと不毛なことか!

インターネットをやめましょう。

やめないなら、上手く付き合いましょう。

身体感覚をインストールしましょう。話はそれからです。
もっとも、インターネット身体感覚をインストールできたときには、もうあなたはSNSから離れていると思いますが。


ここまで前編では、インターネットとの付き合い方の話をしてきました。

後編では、インターネットの構造的な問題について、いちネットユーザーの視点で紐解いていきます。


(蛇足)
落合陽一氏の『デジタルネイチャー』という本が、もっと広汎に、インターネットと私たちが進むかもしれな未来を開陳してくれているようにも感じます。ぜひ。

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