若者のトリセツ:若者は批判をどのように捉えているのか
興味深いノートだった。かなり的を射た意見である。
蛇足に近いが、高校生目線から追加のポイントをまとめてみた。
まず理解しておいてほしいのは、若者がきつい言葉での批判が嫌いなのは確かではあるが、それは言われたことをぼんやりと受け入れようとしているのではなく、新しいよりよい着地点に到達しようとする意思は確かにあるのだということはぜひ理解いただけるとありがたい。
若者はなぜ野党が嫌いか
野党がやっている「批判」といえば、与党の政策への批判がもっぱらだが、若者の間でこれは「ダメ出し」「いちゃもん」としか捉えられていない。
というのも、若者たちは、野党の批判というのは、与党が提示するイデオロギーに対する反動にしかすぎず、野党が確固たるビジョンを持っていないように感じてしまっているからである。実際のところ野党がビジョンを持っているか持っていないかはさておき、その見せ方が下手である。モリカケサクラの問題を追求するのならば、なぜそれが重要なのか、筋が通った説明を国民にズバッと見せなければならない。追求は自己満足であってはならないのである。その説明ができていないからこそ、国民は「いつまでやってんねん、もうええわ……」となっているものが大半なのである。
そのあたり、若者へのリーチとしては、自民党や国民民主党は強い……といっても、強さの源泉は異なっている。
自民党が人気なのは、最も現実的であるからという理由と、自民党の中で層が厚いからである。
自民党はなんだかんだいってずっと政権を握ってきたノウハウがあるし、全体の安定感としては自民党が一番かな、という若者は多い。(というか野党が国会でいちゃもんをつけているように見えないから任せられない、とも言いかえられるかもしれない。)
また、自民党といえば、総裁選にかなりの注目が集まったり、総裁候補者の中でも政策方向性がかなり異なったりと、政策の多様性が高い政党である。そして若者は、「自民党」を見ているのではなく、「岸田さん」「高市さん」「河野さん」……を見ているのである。
いっぽう国民民主党は、長らく「対決より提案」を掲げ、若者が嫌いな「いちゃもん」の雰囲気を出さないことに注力してきた。実際それは功を奏しているのである。
ではなぜ、日本維新の会や国民民主党は「批判ばかり」とあまり批判されず、立憲民主党ばかり「批判ばかり」と言われるのか。
端的に言えば、批判の質が良くない、批判の背景にある価値観・理念が見えない、からである。
より細分化すると、
1.取り上げるテーマが良くない
2.批判の中身が共感されていない(質問力が弱い)
3.新たな問題提起になっていない
4.口調が文句っぽい(建設的な姿勢が弱い)
5.目指す国家像が見えない
という点を指摘することができる。
若者のトリセツ:若者はなぜ、どのような批判が嫌いか
一般的な話をすると、私の肌感覚で言うと、若者が批判を避けようとする心理としては
(1) 言葉がきついのは品性がないから
(2) 何がしたいねん、となるから
この2つである。
(1) 言葉きついのは品性がないから
基本的に、先程挙げた野党のように、ともすればヒステリックに見えるほど強い口調で批判をする人を、若者は嫌う。
その理由は、品性がないからである。
相手が「こんなこともわからないのか」「バカなのか」「愚の骨頂」といったことを、言葉に出さずとも雰囲気として醸し出すだけで、若者は相手に対する反感を抱き、拒否し始めるのである。
相手が若者だとしても、相手を一個の人間として扱ってやること。どうかこれを意識していただきたい。
(2) 何がしたいねん、となるから
もっと言えば、最近の若者は、わかりやすく拒否するのではなく、見切りをつけることがあることに注意されたい。自分をバカにするような態度の人の話は聞く必要はない、という感覚を身体化しているのである。
若者に接することが多い方々においては、強い言葉を極力減らすか、強い言葉を使ったあとは必ず言葉で筋道立ててその理由を説明することをおすすめする。
若者は理不尽が嫌いである。
わがままなお願いにはなるが、若者に危険が迫っていたり、人の道から明らかに外れることをやっている場合はきちんと怒ってほしい。怒ることによって、若者が危機感を持つことができるからだ。しかし、そこで「なぜ怒られたか自分で考えてみろ!」などと言われてしまえば、「理不尽に怒られた」という強い印象のみが残ってしまうのだ。そうではなく、怒った理由をあわせて説明してやってほしい。
もっと根本の原因はなんなのか?
私は、このような若者のもつ傾向の根本の原因は、SNSなどではないと感じている。そもそも若者が上の世代と同じSNSの使い方をしていると思わないほうがいいだろう。今の若者の多くはフェミニズムとアンチフェミニズムの論争など1ミリも知らないものである。
では根本原因はなんなのかといえば、結局のところ「時代精神の移り変わり」に尽きるである。
今の若者たちは、独占したり、競争に勝ったりすることに、そもそもあまり興味がない。
経済が成長し続けていた時代においては、自分が競争に勝つことが一種の至上命題であったはずだ。しかし、今は、モノの所有が限られているのは当たり前で、その中で、どのように自分の時間を使うか、どのように自分の、あるいは共同体の「幸せ」を追い求めるかという方向に注意が移っている、と言えるだろう。
ではなぜこの移り変わりが起きているのかは、私にはあくまで推測しかできないが、
・対立や競争のしんどさを内面化しつつある
・経済成長していなくても、幸せが下がっている実感がない(なぜなら、若者は経済成長している時代に生きたことがないから)
ことなのかな、と思っている。
もっとも、この移り変わりの原因については、もっと上の世代とも比較して考える必要があるだろう。あくまで推測である。
上の世代にしてほしいこと
上の世代にしてほしいことは、2つある。
まず、若者にどうしたら声を届けられるか知ることである。これまでの若者像をいったん捨ててみて、一人の人間としての若者に素直に向き合ってみてほしい。
もう一つは、「上の世代のトリセツ」を若者に広めることである。若者からしたら、上の世代は正直よくわからない世代である……なぜすぐ大声を出したりするのか? なぜ筋の通っているのかよくわからない話をするのか? このあたりの、上の世代のトリセツを届けてくださる方がいたらたいへんありがたいと感じる。
私は高校生だが、60歳を超えている先生でも、今の生徒のあり方をよくわかっている先生もいらっしゃる。上の世代と若者たちが相互にわかり合うことは、きっと可能であると信じている。
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