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CD-Rなんて焼いていた頃

彼女の友達が家に泊まりに来ると聞いたから一日中部屋の掃除をしていた。先週もそんなことを書いたような気がするが、狭い家でも本腰入れて綺麗にしようとすれば陽が沈むくらいまでかかる。
ただ闇雲にコンロを拭いたり服を畳んだりしていても何も面白くない。音楽でも垂れ流すかと、サブスクで昔適当に作ったプレイリスト「部屋で萎びている時に聴きたい曲」をかけたつもりが、押すところを盛大に間違えて「ケツノポリス4」が何故かアルバム丸ごと再生された。まあ別にそれでもええがなと、しばらくケツメイシを聴きながら部屋の角の埃なんかを掃ったりしていた。
「ケツノポリス4」はそれこそ何週間くらいか前にたまたま聴いたから履歴に残っていたのだが、何故聴いたかとなると、その昔叔父が発売されたばかりのそれをCD-Rに焼いたものをくれた記憶が急に思い出されたからだった。記憶の断片ってのはいつどこで起き上がるか分からないから不思議だ。

今思えば、人が人に音源を渡す手段としてCD-Rが活用されていた時代が確かにあった。
あの頃僕達はTSUTAYAに行って1000円出してアルバムを4枚だか5枚だか借り、家族共用のPCにそれを一枚一枚丁寧にリッピングして得意気になっていた。友達からそのアルバム俺にもくれと言われたら、空のCD-RをPCに入れて、アルバムを丸ごと焼いたやつを渡してやった。今でこそ何たる徒労という気分だが、15年そこら前の小中学生にとっては、それが音楽を共有する方法としては最もありふれていた。
思い返せばPC内で組んだプレイリストを焼いて、マイベストのようなものを作ったりもしていた。しかも昔から僕は変なところで拘りたがりの人間だったから、レーベルもジャケットもそれっぽく編集したものを印刷してCDに添えたりして、独り満足したりしていた。
マイベストなんて言葉、多分もう死語だろう。だってサブスクでプレイリストを作っちまえば、わざわざフィジカルに起こす必要なんて無い。あの頃の僕達は人に音源を渡したり、Blutoothの無いカーステレオで聴いたりする為に、どうしてもCDという媒体が必要だった。たったこれだけのことでも薄らと隔世の感を覚える。
当時の僕がマイベストをCDに焼いているところを見て、周りの大人が「自分の頃はカセットにレコードをの音を落とすのが一般的だった」みたいなことをよく話してくれたが、カセットが「あえてのアイテム」としてその手のマニアの中で密かに復調していることを考えると、最早CD-Rに音楽を落としている人間の方が絶滅危惧種なんじゃなかろうか。周りにいたら見つけ次第早急に保護しておいた方がいい。

何の話を書こうとしていたのか忘れた。そう、一日中掃除をしていました。
風呂場の掃除をしていて、バスタブが汚いことに驚いた。キレ散らかしたくなるくらい暑い日が続いていたからお湯なんて張らないし何ヶ月も使っていないのに、使っていないのにどうしてそんなに汚くなれるんだ、お前。
腹が立ったから徹底的に磨き上げてやった。だから多分今この家で一番綺麗な場所は風呂場のバスタブの中である。折角だから今日からしばらくはバスタブの中で寝ようと思う。


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