見出し画像

カメラの系譜

カメラに対して昔から漠然とした憧れがあった。
特に理由らしい理由は無かったのだが、今あえて考えれば、行った場所、体験した物事の欠片を保存して、いつでも取り出したいという欲求が人よりも強かったのかもしれない。
だから、旅行先のお土産は食べるものよりもキーホルダーとかストラップとかのガラクタばかり欲しがっていたし(今はもう胃の中に収まるものしか選ばないのだが)、写真はそうした欲求に対して何よりも従順である。

初めて手にしたカメラは、祖父から譲ってもらった古いコンデジだった。メーカーは忘れた。今となっちゃ姿形も見なくなったCFカードを入れるタイプのもので、背面のディスプレイもえらく小さかった。
多分当時としても決して高いスペックじゃなかったんだろうが、それでも「俺だけのカメラ」である。当時小学校も何年生だったかは覚えちゃいないが、ともかくそのくらいのガキにして個人用のデジカメを与えられたという事実が無性に嬉しかった。
後年、実家がリフォームするどさくさに紛れて失くしてしまった。多分物置の奥底でじっとしているんだろうが、見つかった暁には20年モノの骨董品として神棚に恭しく奉る所存である。

それから大分経って中学も三年生の時、中国を旅行するタイミングでやはりコンデジを買ってもらった。これもメーカーは忘れた。
初代とは違って、SDカード対応になった。そしてディスプレイが大きい。何より薄い。画質も良い(相対比)。カルチャーショックを受けた。エレクトロニクスの技術革新は日進月歩である。
尖閣諸島問題で噴き上がる直前、まだ日本にとっての「超巨大つよつよエネミー国家」になるほんの僅か前の中国を巡った。異国の景色、異国の文化は僕にとってそれは強烈なもので、無邪気に写真を撮りまくったが、やはりこれも見事に失くした。せめて中のSDカードだけでも戻ってきてくれ。

更に月日が流れた。大学も四回生で卒業間際になって、当時付き合っていた彼女に振られ、何故かその腹いせでなけなしのバイト代をはたいてカメラを買った。僕は酒が飲めないし博打もしないからストレスの捌け口も大分限られてくるわけだが、それにしたって何故カメラなんだろうか。
それがNikonのJ5で、このカメラを以て僕は初めて「レンズを交換できるカメラがある」「って言うか交換できないコンデジがむしろ特殊」であることを知った。無知も大概である。
J5は破格の値段で売り出されていた。確かズームと単焦点のダブルレンズキットで、五万出してお釣りが来た。実際はその頃(2018年春)には既にニコン1シリーズは開店休業状態で、後継機もレンズも開発されることはないだろうと市場が判断してのこの価格だったのだが、そんなもん何も知らない馬鹿にとってはどうでもいいことで、とにかく安価であることだけを全ての理由として買ったのだった。
今までコンデジかスマホのカメラでしか写真を撮ったことがない人間がミラーレスを持つとどうなるか。僕は御多分に洩れず「画質がいい!」「背景がボケる!」と狂ったように連呼し、卒業旅行でもうんざりされるほど写真を撮った。J5のイメージセンサーは1型より僅かに大きい程度なのだが、それにしても僕の中でのカメラという概念に大革命が起きたのは確かだった。実際、今になってその頃に撮った写真を見ても決して悪くはない。

単焦点はちゃんとボケる。J5を買ってすぐ卒業旅行で行った沖縄、青い海とハイビスカス。
いつだったかの箱根駅伝、この年は東海大が往路優勝。ズームに連写モード。
築地、聖路加のタワーから撮った冬の都心の夜景。三脚でしっかり固定すれば無問題。

ただ、この頃はスマホカメラの進歩も飛躍的だった。自動修正機能なんかが付いて、適当にシャッターを押してもキラキラピカピカ映え映え加工が施される。ポートレート機能を使えばボカシ処理もしてくれる。素人目にはもうこれでいいじゃんと感じてしまい、段々とJ5を取り出す機会も減っていく。
最終的にはカメラバッグとレンズも合わせて知り合いに売ってしまった。丸の内で譲って、試しに夜の東京駅のレンガ駅舎を撮ってもらう。プレビュー画面に映ったブレブレでピンボケの駅舎を見て「これでもうJ5は貴方のものです」儀式が完了した。

達者で暮らせよJ5。

それからしばらくして僕はNikonのZ fcを買い、現在またカメラで笑ったり怒ったり悩んだりしているのだが、もう無駄に長くなってしまうから次回に回すことにする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?