「取るに足りなさ」との闘い|まちは言葉でできている|西本千尋
中野駅周辺の大規模再開発
雨がようやくあがった。6月の初旬、中野駅(中野区)で住民のIさんと待ち合わせをしていた。中野駅周辺では11地区もの大規模再開発事業が目下進行中であり[*1]、それらを住民のIさんに案内いただくためだ。Iさんからいただいた地図を手にしながら、透明の工事用仮囲いの奥にある巨大な更地を眺める。クレーン車を見上げる。線路脇の民家のドアや窓ガラスには「再開発・反対」、「移転しました」、「営業妨害をやめろ」、「この開発でこの町会は消滅しました」などというポスターが貼られている。中には空き家が支配的になりつつある地区もある。再開発を控えたさまざまな段階に位置する地区の斑。本当のことを言えば、自分がいったい、そこで何を見て何を思えばいいのか、正直まったくわからなかった。住民の声や再開発の実際を知っても、何もできないこと、行き場のない無力感を抱え込み、消耗することはわかっていた。にもかかわらず、なぜやって来たのだろう。
再開発事業に直面した住民に話を聞くのは今回が初めてではない。全国各地で起こる再開発事業等に直面した住民の集まりには何度か出向いたことがあった。
各地の再開発事業等の渦中にある住民の口からは、行政とデベロッパーの説明や合意形成における情報公開の不足、手続きのスピードの速さ、信頼ならない交渉の手口などが延々と語られ続けた。個々の要求、感情、失意、怒りが煮詰まって、集会の場は常にピリつき、どんよりしていた。いっこうに収まらない怒りや笑み混じりの恨みを聞き続けているのがつらく、席を外したこともあった。何が起こっているのか理解しよう、理解したい、と思って住民の話を聞こうと努めたが、それはとても難しかった。すぐにくたくたになった。
ところで、そうした集まりに参加して声をあげる住民は、再開発予定地である土地や建物を直接、使ってきた人たちだ。いつか換金することを目的に外からこの土地を眺めていた人たちではない。その土地に根付き、暮らしを立て、地域の秩序を支えてきた中間層である。でも、都市計画行政は、そうした再開発事業に利害を持つ住民に対しては、ひどく冷酷だった。住民の抵抗をゴネ得などと言って、白眼視してきた。残念ながら、住民参加や住民主体のまちづくりを推進してきた専門家でさえそうだった。白眼視どころか、再開発に反対する住民は、はなからいないものとされ、不可視化されてきたとも言えるのかもしれない[*3]。
前置きが長くなってしまったが、今回の中野駅の訪問は、以上のような背景を抱えながら、再開発予定地に暮らす住民の(不可視化されてきた)声を聞きに、あらためて現地を訪ねるというものだった。
その声に耳を傾けることで消耗するというのなら、わざわざ足を運ばなくてもよかったのかもしれない(それこそ、行政やデベロッパーがその声を不可視化してきたのと同じように)。しかし今、再開発の現場で起きているのは、「公共の福祉」の名の下におこなわれる住民たちの自由、財産、自治の剥奪である。要するに、落胆する自分自身に、わたしはちゃんと理解させたかった。「それはとても熱いのだから、気をつけろ」[*4]と。それを目撃することからしか、話ははじまらないのだと。
「公共の福祉」による換金不可能なものの剥奪
中野駅から高円寺駅(杉並区)に向かって線路脇の路地を歩いた。線路に沿うように咲く紫陽花が見事だった。誰が植えたのだろう。各々が美しさを互いに主張し合って、過剰で豪華で比類なく美しかった。おそらく住民によって手をかけられたこの紫陽花たちは、計画的に景観をよくするとか、観光名所にするために植えられたのではないことが想像された。下町の路地によくある植木鉢の群生に似て、住民それぞれの独り居のかたちが見えるような気もした。住民と路地との親密な関係の現れの一つである。
そのまま、高円寺駅に向かって歩いていくと、杉並区との区界にある再開発予定地に住む女性に偶然、出くわした。「なんてこともない公園ですけど、ほら、鳥の声がしてね、そういう場所なんですよ。このまま、ここで暮らしていけたらいいんですけどね」。一緒に公園を眺めた。あたりは空き家が目立った。住宅地にこれほどいくつも企業名の表札がかかっているのは、地上げの現れなのだろうか。明らかにひと気がない築古のアパートの一室、そのドアの前に再開発準備組合とのプレートが貼られていた。しばらく行くと、Iさんがある家の前で立ち止まった。まだ表札が掲げられたままだ。「ここは、長らくわたしたち住民が集まって会合をしていたお宅でしたが、突然、ある日引っ越されてしまって、連絡先もわからなくなってしまった。やっぱり寂しいものですねえ」。急な引越しだったのだろうか。駐車スペースにはバケツと犬小屋、残置物が見られた。さらに歩を進めると、杉並区に入った地点に2つの看板が立っていた。一つは東京都市計画道路事業の概要が書かれ、「杉並区は[…]関係する皆様のご協力をいただきながら、必要な土地を取得していきます」と示されていた。そうか、中野区の再開発と地続きの道路事業なのだなと眺めていると、隣の看板にはこう書かれていた。
杉並の新区長である岸本聡子さんの公約「さとこビジョン」――「対話から始まる みんなの杉並」――の具体を見たのは、実はこれが初めてだった。公約の内容は「区立施設の統廃合や駅前再開発、大規模道路拡幅計画など、住民の合意が得られないものはいったん停止し、見直す」である。さらに「さとこビジョン」の実現に向けた取組概要調査票によると、「あらためて地元住民等の意見を把握するための場を設け、事業の実施または、停止した場合それぞれの課題を精査し、検討する。なお、補助221号線の事業認可取得後に行うべき諸々の手続きの判断については8月中、その他の見通しについては年度末を目途とする」とある[*5]。
中野区だけでない、杉並区もそうだ。個々人が人生のなかで積み上げてきた小さな自由、財産、自治の剥奪に対して、しごくまっとうに怒り、感情をあらわにしている人々がいる。ひとひらの土地に小さな家を建てて生活を送っていた折に、再開発事業や道路事業に巻き込まれた。暮らしという換金のできないない特別なものを奪われることに正直に怒り、不安を持ち、藁にもすがるように、再開発を推進することを本業とする行政やデベロッパーの手法(住民は手口という)を必死に勉強し、情報を仕入れ、抵抗している人々がいる。当然、制度的には、そのような住民の権利は土地や建物の床と等価交換される、あるいは、補償金に置き換えられるのだが、そもそもその暮らしの剥奪を正当化する「公共の福祉」とはいったい、なんだろうか。その受益者であるわたしたちは、それをいつ点検した(する)のだろうか。対話集会「さとこブレスト」は、その点検のための場になるのだろうか。
*
とぼとぼと駅前に戻ってきて、最後に中野サンプラザへ辿り着く。7月2日に閉館となる複合施設だ。Iさんは館内を歩きながら「ここはせがれとの散歩道だったんです」とつぶやいた。これがその日、Iさんが自身の家族の話をした、わずかな一言だった。使い込んで快適で馴染んだ唯一の家やまちは自分の魂のようなもので、散歩道もその一つなのだと思う。まちづくりに業として関わる者たちのように新しさや快適性や安全性を誰かに見せびらかし、PRする必要がないもの。Iさんたちは、そういうものを失うのだ。
今年4月、中野駅周辺の新たなまちづくりビジョンが決定した。公共の福祉の実現を掲げて新しいまちをつくろうという官民の美しい理念は次の通りである。「寛容性が生み出す日本一多様な文化のまち・中野~中野に暮らす人、働く人、訪れる人が誇りを掻き立てられるまち~」[*6]。
このビジョンを見ながら、小さな自由、小さな財産、小さな自治を奪われるのは、中野の再開発予定地に暮らす住民だけでないのだと思った。わたしとあなたのそれも、今、致し方なく認められている程度のものであり、いつなんどき、不寛容さによって、公共の福祉の名の下に、失うかわからないのだと思った。でも、わたしたちにとって、そうした「取るに足りなさ」[*7]こそ、わたしたちのわずかな持ち物であり、人生(そのもの)ではなかったのだろうか。
中野区の隣接自治体でおこなわれる対話集会「さとこブレスト」は、わたしたちの「取るに足りなさ」にこれからどのように向き合っていくのだろう。「取るに足りない」わたしたちがまちづくりに希望を見いだすためには、不可視化されてきた住民たちの「声」にこそまず耳が傾けられなければならないはずだ。杉並で生まれつつある「対話」は、希望となるだろうか。少なくともわたしは、小さくない期待を寄せている。
【注釈】
[*1]「中野駅周辺 まちづくり事業 一覧」
[*2]再開発準備組合とは、法令に定めのない任意団体である。再開発事業(都市再開発法に規定のある市街地再開発事業)実施のためには、市街地再開発組合(本組合)の認可が必要であり、そのための準備組織として設立される。本組合認可にあたっては、施行地区の区域内の宅地の所有権者及び借地権者の2/3以上の同意を得る必要があるため(都市再開発法第14条第1項)、この準備組合における手続きが、ある意味では再開発事業の本丸である。
しかしながら、本稿でも引いた住民の言葉にあるように、宅地の所有者及び借地権者が定款や事業計画の内容に対して十分な理解を得ないまま、同意書にハンコを押してしまったとか、上記の内容が十分に知らされずに同意書が集められ、認可申請(本組合設立)されていたといったケースも少なくなく、住民の同意をめぐっては常に紛争が絶えることがない。
詳しくは「区画・再開発通信」No.621、NPO法人区画整理・再開発対策全国連絡会、9頁と『改訂8版 逐条解説 都市再開発法解説』国土交通省都市局市街地整備課 監修、都市再開発法制研究会 編著、大成出版社、2019年を参考。
[*3]少し長くなるが、住民参加・住民主体のまちづくりの変容について書いておく。
60年代、70年代の革新自治体において誕生し、展開を見せた住民参加・住民主体のまちづくりと、こんにち推奨・評価されている住民参加・住民主体のまちづくりは、同じ住民の関わるまちづくりでも性格が大きく異なることに留意したい。
前者のまちづくりは住民主体のまちづくりを自治体が歓迎し、引き受け、実現しようとする性格を持っていた世田谷、横浜、神戸などにその先例を見ることができ、当時、そうした先例づくりに専門家、行政職員が大きく貢献した。住民参加・住民主体のまちづくりにとっての黄金時代といえる。
一方、2000年以降はその性格が一変する。財政再建・行政改革を求められた自治体は、民間活力を引き出すための都市計画(大規模な規制緩和)にシフトした。住民参加・住民主体のまちづくりは、その民営化・コスト削減の流れに自動的に組み込まれることになった。したがって、現在、住民参加や住民主体のまちづくりを謳う専門家は、皮肉だが、行政のコスト削減として、あるいは民間企業主体のまちづくりの下請けとして住民が参加する事例を称揚する(新たな公共など)。
本稿に引きつけると、民間活力を生かした都市計画(まちづくり)の下で疎外され、下敷きになった住民の存在は、白眼視というより、自動的に不可視化されていると言えるかもしれない。官民連携・官民主体の都市計画(まちづくり)において、反対する住民は存在しないことにされているのだ。本稿で最後に触れる中野区のビジョンを見てもそのことがはっきりわかるだろう。
[*4]ファン・ジョンウンが『ディディの傘』(斎藤真理子訳、亜紀書房、2020年)の「日本の読者のみなさんへ」(261頁)で記した言葉より(「私はdを広場に案内し、『取るに足りなさ』というものと闘っている人々を目撃させたかったし[…]小説の外にある私の落胆に向かって『それはとても熱いのだから、気をつけろ』と書きたかったのです」)。
本書の舞台の一つは、世運商街という「日本の植民地時代、戦時の空襲に備え、疎開地として空けられていた広大な土地」に1967年に建設された、韓国初の大型住宅商業複合ビルである。同所では2014年に再開発が開始された。ジョンウンはそれに反対する人々の暮らしを書いた。
[*5]「『さとこビジョン』の実現に向けた取組概要調査票」4頁より。「さとこビジョン」については岸本聡子さんの公式ウェブサイトを参照。
[*6]「中野エリマネビジョン策定に向けたパネル展」
[*7]『ディディの傘』261頁