作品よりも多い感想
今まで生きてきて分かったことがある。
それは「作品の数よりも感想の数のほうが多い」ってこと。
確かに昔から小学校で昨日の夜見たテレビのお笑い番組の話をしてコミュニケーションをとっていた。でもそこで培ったのはコミュニケーションの取り方というよりも自尊心の守り方だったかもしれない。
自分の好き、面白いという感性の答え合わせをしていたような気がする。
そのせいだろうか、今でも好きな音楽を聞くためにYouTubeを開いたはずなのに、コメントを読むために4周もリピートすることがある。
自分の感性を誰かのコメントで確かめようとしていた。
センスいいねって思い込みたくて。
センスいいって思い込む必要なんかどこにあるんだ?って話なのに。
脳内麻薬的にコメントを読んでも、結局他人事。
自分の感覚と向き合わないとね。自分の感想と向き合わないとね。
ネットに転がる、どこの馬の骨ともしれない映画レビューや読書感想、考察に劣等感を抱きながら、「なるほどそういうことか」って自分を騙してる場合じゃないね。
作品すべてを味わい尽くす権利を人間は持ち合わせていないのだから。
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