生物学的女

働いて疲れて帰っていて、ふと視線を感じて左を見ると、まあるく大きくひかる月が浮かんでいた。
なんとなく視線が交差している気がして
「月でか。」
と呟いた。
電車の中で座りながらLINEをチェックし、ふと思い出して窓の外を見たけれど何もなかった。
何も浮かんでいなかった。


女であることや女としての体を持つことに対してたまにどうしようもなくなる
精神としての私と容れ物としての私の体があるような気がする
私の精神はそことは別にあるのに外からは容れ物しか見えない


人の視界に入ることが嫌だった
大学に入りたての頃は同い年の人達と比べられ周りから勝手にジャッジされているような気がして息が詰まりそうだった
考えすぎかもしれない
新宿や渋谷の大都市が好きだった。だれも周りに気を配らず自分が匿名としての存在でいられたから
ただ声を掛けられると最悪な気分になった
私のことを気にしないでください
透明な存在としてそこにいたかった
人間と情報との間
認識と無意識の間
有と無の間


もちと最近自分の心のすぐそばに、見えないようにしている大きな底なしの穴があるという話をした。
空洞 または井戸のようなもの
多分初めて人に話したのにすぐに分かり合えて驚いた
でも人間は誰でも持ち合わせているのかもしれない、
気がついているかいないのかの違い。

来月から会社の、隣の女の人が産休に入る。
日に日に大きくなるお腹を見て、人間として形が変わっていって、そこにもう一つ命があるんだ、すご。と思う。
それは祝福すべきことだというのも分かるし、尊くて生命の神秘ともいえる
ただ、正直変な感じがしてこわい
自分の体が他の命を迎え入れる為に自分の意思とは無関係に形が変わっていくというのが想像つかない
あんまり直視できない
まだ私は私で完結していたい

そう 完結していたい
自分の体は自分である程度までコントロールできても、根幹のところは変えられない。
生理も勝手にやってくるし性欲も勝手にやってきて混乱させられる。
誰も私の中に入ってこないでほしい
そう思う一方で、別にこの体だってただの容れ物であって元々抑制できるものではないのかもしれない。とも感じる。

同じく会社の別の人で、朝ロッカー室やトイレに行くと毎回ハンカチで汗を拭いている女の人がいる。
口には出さないけれど、きっと更年期だろうなと思う。
ホットフラッシュって辛いだろうな
でも私たちはうまく容れ物としての身体と付き合っていかなきゃいけないんよな
一生続くからさ


何か大きな自然の摂理の中に私たちはいる気がする
それならなんで意思を持っているの人間は
その時が来たらそうなるだけなんだ

今日も月が浮かんでいる
月の引力みたいな そういうのって信じる?


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