記憶と夕日

昨日18時ごろ仮眠し、目が覚めると窓の外が藍色に染まっていた。部屋の中はもう一段深く濃い青色で、私は布団にくるまりながら夢と現実の境がつかない頭でぼんやりと外を見ていた。

一定の間隔で電車が横切っていく。
夜になろうとする藍色の中を通り抜ける光。光の中には名前も知らないそれぞれの人生を生きる人がいて、上には月が控えめに浮かんでいた。
何となく寂しい、と思った。
ただそこにはどこか懐かしさも含まれていた。
この理由のない寂しさはおそらく存在することに対する孤独で、誰の根底にも流れているんじゃないだろうか。
再び目を閉じて10分ほど眠り、次に起きた時には今日の夕飯のことを考えていた。



翌日、もちの展示を見る為に神保町へ出かけた。
彼女は高校生の頃から美術部に入っていて、最近は仕事とは別に絵の学校へ通っている。学校のことは何度か話を聞いていて、今回もその集大成ということで楽しみにしていた。

外はよく晴れて、コートを着て行ったけど歩いているうちに暑くなってカバンへしまう。
歩きながら高校生の頃の文化祭を思い出す。たしか文化祭で彼女の絵をちゃんと見たのだ。電車の中で少女が浮かんでいる絵。車内は青く、乗客は誰もいない。
私はなんとなくその絵のことをずっと覚えていた。絵というよりも、その女の子のことが頭から離れなかった。

会場に着くと、すでに人が入っていた。
私はもちの絵を最後に見ることに決めてぐるっと一周する。
みんな絵の系統がバラバラで面白い。絵も写真も、その人が見えている世界がそのまま映し出されるところが好きだ。
そして彼女の作品にたどり着くと、すぐに、ある油絵に目がいった。そこに描かれている場所は地元の海だった。
夕暮れの海。女の子の姿が真ん中に大きく、シルエットのように描かれている。
隣にもちが来て、それは高校生の自分だと教えてくれた。


私と彼女は同じ海を見て、そこへ沈む同じ夕日を見て育った。高校時代はずっと一緒に過ごしていたわけではなく、たぶん抱えている悩みの種類は同じものも全く違うものもあった。
ただ、考え方は似通っていたんだろう。時々二人で高校のベランダに集まって、この淡いグラデーションの空に溶けたいねと暗くなるまで話をしていた。
私が覚えていた文化祭の絵は、実は途中のまま展示したらしい。そのことがずっと引っかかっていて、足枷になっていたのかもしれない。

今回、彼女は作品を初めて完成させたという。
過去の自分を救えるのは自分しかいない。
ずっと同じところに沈んでいた電車の中の少女を救い出したのは他でもない現在の彼女自身であり、次の段階に歩みだした瞬間だったと思う。
隣で見てきた柏としては、なんだかエモくなってしまい「じーん…」と心の声を伝えた。


作品横のキャプションには私が昨日感じたことと、似ている内容が書いてあった。
何てことはない日々の中にある、でも心が自然と動かされる景色、そこから想起される感情。
こういったものは意味がなくどんどん忘れていくものだと思っていた。実際、現実世界でも考えなければならないことは尽きず思い出すことが減っていく。
ただ、彼女はそれを「優しい記憶」と呼んでいた。でもそれは次のもちの日記でいった方がいいと思う。


夕暮れの赤は消えて無くなるのではないように、昔の私たちの感情は今でも私たちの中に溶けている。
たまにそれを思い出したり、思い出さなくなったとしても自分の中に存在して、今の生活を形作っていると思うと、悲しいことではないのかもしれないな。
納得のいく絵がかけてよかったね。おめでとう。また次の作品を楽しみにしているよ。




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